列子 / 仲尼篇
仲尼閒居、子貢入侍、而有憂色。子貢不敢問、出告顏回、顏回援琴而歌。孔子聞之、果召回入、問曰:「若奚獨樂?」回曰:「夫子奚獨憂?」孔子曰:「先言爾志。」曰:「吾昔聞之夫子曰:『樂天知命故不憂。』回所以樂也。」
新字:仲尼閒居、子貢入侍、而有憂色。子貢不敢問、出告顔回、顔回援琴而歌。孔子聞之、果召回入、問曰:「若奚独楽?」回曰:「夫子奚独憂?」孔子曰:「先言爾志。」曰:「吾昔聞之夫子曰:『楽天知命故不憂。』回所以楽也。」
書き下し
仲尼閒居す。子貢入りて侍るに、憂色有り。子貢敢えて問わず、出でて顏回に告ぐ。顏回琴を援きて歌う。孔子之を聞き、果たして回を召して入らしめ、問いて曰く、若奚ぞ獨り樂しむ、と。回曰く、夫子奚ぞ獨り憂うる、と。孔子曰く、先ず爾の志を言え、と。曰く、吾昔之を夫子に聞けり、天を樂しみ命を知る、故に憂えず、と。回の樂しむ所以なり、と。
現代語訳
孔子が静かに座っていた。子貢が入って側に控えると、憂いの色があった。子貢はあえて尋ねず、部屋を出て顔回に告げた。顔回は琴を取って歌った。孔子はそれを聞いて、はたして顔回を呼び入れ、尋ねた。「お前はどうして一人だけ楽しんでいるのか」。顔回は言った。「先生はどうして一人だけ憂えておられるのですか」。孔子は言った。「まずお前の考えを言いなさい」。顔回は言った。「私は以前、先生からこう聞きました。天を楽しみ、命を知る、だから憂えない、と。これが私の楽しむ理由です」。
解説
師が憂えているのを見て、弟子の一人は尋ねられず、もう一人は琴を弾いて歌いました。琴を弾いたほうが呼ばれる。直接問わずに、相手が声をかけざるを得ない状況を作っています。しかも顔回が返したのは答えではなく、逆の問いでした。「先生はどうして一人だけ憂えておられるのですか」。上司の様子がおかしいときに、部下がどう関わるかという問題として読めます。踏み込まないのは礼儀ですが、何もしなければ何も起きません。顔回のやり方は、問い詰めもせず、放置もしない。そして孔子は「まずお前の考えを言え」と応じます。この応酬から、この篇でもっとも重い言葉が引き出されます。
この章句が説くこと
天を楽しみ命を知る故に憂えず顏回琴を援きて歌う顔回琴を援きて歌う夫子奚ぞ独り憂うる逆境
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