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葉隠 / 聞書第一

損さへすれば相手はない、堪忍してもひけにはならぬ事なり。たとへ貴人たりとも、一言も云はせぬなどと云ふは別段の事なり。これは無禮、慮外と云ふものなり。しまり、銀など取り候へば却つて負けなり。以來の支へになるべきなり。總じて公事沙汰、言分などと云ふ事は、皆損得の事なり。損さへすれば、相手はなきものなり。たとへ人よりだまされて負けて居るは、氣味のよき人かな。

新字:損さへすれば相手はない、堪忍してもひけにはならぬ事なり。たとへ貴人たりとも、一言も云はせぬなどと云ふは別段の事なり。これは無礼、慮外と云ふものなり。しまり、銀など取り候へば却つて負けなり。以来の支へになるべきなり。総じて公事沙汰、言分などと云ふ事は、皆損得の事なり。損さへすれば、相手はなきものなり。たとへ人よりだまされて負けて居るは、気味のよき人かな。

書き下し

損さえすれば相手はない、堪忍(かんにん)しても引(ひ)けにはならぬ事である。たとえ貴人であっても、一言も言わせぬなどと言うのは別段(べつだん)の事である。これは無礼、慮外(りょがい)と言うものである。締(し)まり、銀(ぎん)など取り候えば却(かえ)って負けである。以来の支(つか)えになるべきである。総じて公事沙汰(くじざた)、言い分などと言う事は、みな損得の事である。損さえすれば、相手はなきものである。たとえ人よりだまされて負けているのは、気味(きみ)のよい人であるよ。

現代語訳

こちらが損を引き受けさえすれば、争う相手はいなくなる。じっと堪えても、それは負けや引け目にはならない。もっとも、たとえ相手が身分の高い人であっても一言も言わせないなどと威張るのは別のことで、それはただの無礼・非礼にすぎない。金銭で締めくくって銀などを取れば、かえって負けであり、後々の障(さわ)りになる。そもそも訴訟や言い争いというものは、すべて損得のことにすぎない。こちらが損を引き受けさえすれば、争う相手はいなくなるのだ。たとえ人にだまされて負けたままでいるのは、かえって気持ちのよい人物というものだ。

解説

争いごとは、こちらが損を引き受けてしまえば消える、と説く一条です。訴訟や言い争いは結局すべて損得の勘定であり、勝ち負けにこだわって金銭を取れば、目先は勝っても遺恨が残り、かえって後々の障りになると常朝は言います。むしろ堪えて損を引き受ける者、だまされて負けたままでいられる者を「気味のよい人」と評価します。ただし、それは弱さゆえの卑屈とは違い、相手に一言も言わせず威張るのはただの無礼だと戒めます。葉隠が説くのは、勝敗の外に立つ度量です。現代でも、些細な損得や面子(めんつ)の争いは、勝っても関係を壊し、結局は損になります。あえて引く強さ、堪える度量が、無用の敵を作らず身を保つ知恵だという教えです。

この章句が説くこと

堪忍損を引き受ける争いを避ける度量勝敗の外遺恨を残さない

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