顔氏家訓 / 勉學
嘗游趙州、見柏人城北有一小水、土人亦不知名。後讀城西門徐整碑云:「(水百)流東指。」眾皆不識。吾案說文、此字古魄字也、(水百)、淺水貌。此水漢來本無名矣、直以淺貌目之、或當即以(水百)為名乎?
新字:嘗游趙州、見柏人城北有一小水、土人亦不知名。後読城西門徐整碑云:「(水百)流東指。」眾皆不識。吾案説文、此字古魄字也、(水百)、浅水貌。此水漢来本無名矣、直以浅貌目之、或当即以(水百)為名乎?
書き下し
嘗て趙州に游び、柏人城の北に一小水有るを見る。土人も亦た名を知らず。後に城の西門の徐整の碑を読むに云う、「洦流東に指す」と。衆皆な識らず。吾説文を案ずるに、此の字は古の魄の字なり。洦は、浅水の貌なり。此の水は漢より来た本と名無し。直だ浅き貌を以て之を目づくるか。或いは当に即ち洦を以て名と為すべきか。
現代語訳
かつて趙州に行き、柏人城の北に小さな川があるのを見た。土地の人もその名を知らなかった。後に城の西門にある徐整の碑を読むと、「洦の流れが東を指す」とあった。みな読めなかった。私が『説文』を調べると、この字は古い「魄」の字である。洦とは浅い水のさまである。この川は漢の時代からもともと名がなかった。ただ浅いさまを表す語でそう呼んだのだろうか。あるいはそのまま「洦」を名としたのだろうか。
解説
地元の人も名を知らない川の呼び名を、石碑と字書で追った記録です。碑には見慣れない字があり、誰も読めなかった。『説文』を引くと、浅い水のさまを表す古い字だと分かる。ここで顔之推は結論を二つ並べます。もともと名がないので浅いさまで呼んだのか、それとも「洦」自体が名なのか。決めていません。碑と字書で読めるところまでは確定させ、その先は推測として二つ示す。分かったところと推測を分けて示す。この線を引けることが、調査の報告を信頼できるものにします。
この章句が説くこと
洦流東に指す洦は浅水の貌なり此の水は漢より本と名無し確定と推測忠信
関連する章句
-
論語・子罕篇子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること毋かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
-
孔子家語・儒行解儒に金玉を宝とせずして、忠信を以て宝と為し、土地を祈らずして、仁義を以て土地と為し、多積を求めずして、多文を以て富と為す有り。得難くして禄し易く、禄し易くして畜い難し。時に非ざれば見えず、亦た難得ならずや。義に非ざれば合わず、亦た難畜ならずや。労を先にして禄を後にす、亦た易禄ならずや。其の人情に近きこと此くの如き者有り。儒に之に委ぬるに財貨を以てして貪らず、之を淹すに楽好を以てして淫せず、之を劫すに衆を以てして懼れず、之を阻むに兵を以てして懾れず、利を見て其の義を虧かず、死を見て其の守りを更めず、鷙虫の攫搏も其の勇を程らず、重鼎を引くも其の力を程らず、往く者を悔いず、来る者を予めせず、過言再びせず、流言極めず、其の威を断たず、其の謀を習わず有り。其の特立すること此くの如き者有り。
-
論語・衛霊公篇子張、行を問う。子曰く、「言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば、則ち其の前に参するを見るなり。輿に在れば、則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。」子張、諸を紳に書す。
-
説苑・雜言孔子、呂梁を観る。懸水四十仞、環流九十里、魚鱉過ぐる能わず、黿鼉敢えて居らず。一丈夫有り、方に将に之を渉らんとす。孔子人をして崖に並びて之を止めしめて曰く、「此の懸水四十仞、圜流九十里、魚鱉敢えて過ぎず、黿鼉敢えて居らず、意うに済り難からんか」と。丈夫意に錯かず、遂に渡りて出づ。孔子問う、「子巧みなるか。且つ道術有るか。能く入りて出づる所以は何ぞや」と。丈夫曰く、「始め吾入るや、先ず忠信を以てす。吾の出づるや、又従うに忠信を以てす。忠信吾が軀を波流に錯くも、吾敢えて私を用いず。吾の能く入りて復た出づる所以なり」と。孔子弟子に謂いて曰く、「水すら尚お忠信を以てす可し、義久しくして身之に親しめば、況んや人に於いてをや」と。
-
孔子家語・致思孔子衛より魯に反り、駕を河梁に息めて観る。懸水三十仞、圜流九十里なる有り、魚鱉導く能わず、黿鼉居る能わず。一丈夫の方に厲らんとする有り、孔子人をして涯に並びて之を止めしめて曰わく、「此の懸水三十仞、圜流九十里なるは、魚鱉黿鼉も居る能わざるなり、意うに済る可からざらん。」 丈夫意に措せず、遂に渡りて出づ。 孔子之に問いて曰わく、「子道術有るか。入りて出づる能わゆる所以は、何ぞや。」 丈夫対えて曰わく、「始め吾の入るや、先ず忠信を以てす。吾の出づるに及びても、又忠信を以て従う。忠信吾が軀を波流に措く、而して吾敢えて私を用いず、入りて復た出づる能う所以なり。」 孔子弟子に謂いて曰わく、「二三子之を識せ、水すら且つ猶忠信を以て身を成し之に親しむ可し、而るを況んや人に於てをや。」
-
説苑・尊賢哀公孔子に問いて曰く、「人如何にして取るべきか」と。孔子対えて曰く、「拑者を取ること毋かれ、健者を取ること無かれ、口鋭き者を取ること毋かれ」と。哀公曰く、「何の謂いぞや」と。孔子曰く、「拑者は大いに給利にして尽くは用うべからず。健者は必ず人を兼ねんと欲す、以て法と為すべからず。口鋭き者は誕多くして信寡し、後恐らくは験あらざらん。夫れ弓矢は和調して後に其の中を求む。馬は愨愿順にして、然る後に其の良材を求む。人は必ず忠信重厚にして、然る後に其の知能を求む。今人有りて忠信重厚ならずして知能多ければ、此くの如き人は、譬えば猶お豺狼のごとし、身を以て近づくべからず。是の故に先ず其の仁義の誠なる者、然る後に之に親しむ。是に於いて知能有る者、然る後に之に任ず。故に曰く、仁に親しみて能を使うと。夫れ人を取るの術や、其の言を観て其の行いを察す。夫れ言なる者は其の匈を抒べて其の情を発する所以の者なり。能く行う士は必ず能く之を言う。是の故に先ず其の言を観て其の行いを揆る。夫れ言を以て其の行いを揆れば、姦軌の人有りと雖も、以て其の情を逃るる無し」と。哀公曰く、「善し」と。