顔氏家訓 / 書證
或問:「山海經、夏禹及益所記、而有長沙、零陵、桂陽、諸暨、如此郡縣不少、以爲何也?」答曰:「史之闕文、爲日久矣、加復秦人滅學、董卓焚書、典籍錯亂、非止於此。
新字:或問:「山海経、夏禹及益所記、而有長沙、零陵、桂陽、諸暨、如此郡県不少、以為何也?」答曰:「史之闕文、為日久矣、加復秦人滅学、董卓焚書、典籍錯乱、非止於此。
書き下し
或るひと問う、「山海経は、夏の禹及び益の記す所なるに、而も長沙・零陵・桂陽・諸暨有り。此くの如き郡県少なからず。以て何と為すや」と。答えて曰く、「史の闕文、日を為すこと久し。加うるに復た秦人学を滅し、董卓書を焚き、典籍錯乱す。此に止まるに非ざるなり。
現代語訳
ある人が問うた。「『山海経』は夏の禹と益が記したものだというのに、長沙・零陵・桂陽・諸暨などが出てくる。こうした郡県の名は少なくない。これはどういうわけか」。答えて言った。「史書に欠落があることは、久しく続いてきた。そのうえ秦の人が学問を滅ぼし、董卓が書物を焼き、典籍は入り乱れた。欠落はこれにとどまるものではない。
解説
太古の書に後世の地名が出てくるのはなぜか、という問いへの導入です。顔之推はまず、史書の欠落と混乱が長く続いてきたという一般的な事情を置きます。焚書と戦乱で典籍は入り乱れた。個別の書の問題ではなく、伝承全体の条件だと枠組みを示してから、次の段で具体例を並べていきます。奇妙な記述に出会ったとき、その一箇所を説明しようとするより、その資料がどういう経路で今に伝わったかを先に考える。伝達の経路が分かれば、どういう種類の混入が起こりうるかも分かります。
この章句が説くこと
山海経に長沙零陵桂陽有り史の闕文日を為すこと久し秦人学を滅し董卓書を焚く伝達の経路
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