顔氏家訓 / 書證
尙書曰:「惟影響。」周禮云:「土圭測影、影朝影夕。」孟子曰:「圖影失形。」莊子云:「罔兩問影。」如此等字、皆當爲光景之景。凡陰景者、因光而生、故即謂爲景。淮南子呼爲景柱、廣雅云:「晷柱挂景。」並是也。至晉世葛洪字苑、傍始加影(去掉景)、音於景反。而世間輒改治尙書、周禮、莊、孟從葛洪字、甚爲失矣。
新字:尙書曰:「惟影響。」周礼云:「土圭測影、影朝影夕。」孟子曰:「図影失形。」荘子云:「罔両問影。」如此等字、皆当為光景之景。凡陰景者、因光而生、故即謂為景。淮南子呼為景柱、広雅云:「晷柱挂景。」並是也。至晉世葛洪字苑、傍始加影(去掉景)、音於景反。而世間輒改治尙書、周礼、荘、孟従葛洪字、甚為失矣。
書き下し
尚書に曰く、「惟れ影響なり」と。周礼に云う、「土圭もて影を測る。朝に影し夕に影す」と。孟子に曰く、「影を図りて形を失う」と。荘子に云う、「罔両影に問う」と。此くの如き等の字は、皆な当に光景の景と為すべし。凡そ陰景なる者は、光に因りて生ず。故に即ち謂いて景と為す。淮南子は呼びて景柱と為す。広雅に云う、「晷柱景を挂く」と。並びに是なり。晋世の葛洪の字苑に至り、傍らに始めて影(景を去る)を加う。音は於景の反。而るに世間輒ち尚書・周礼・荘・孟を改治して葛洪の字に従う。甚だ失と為すなり。
現代語訳
『書経』にいう。「影と響きのようである」。『周礼』にいう。「土圭で影を測る。朝の影、夕の影」。『孟子』にいう。「影を写して形を失う」。『荘子』にいう。「うすかげが影に問う」。こうした字はどれも「光景」の「景」とすべきである。およそ陰の影というものは、光によって生じる。だからそのまま「景」というのである。『淮南子』ではこれを「景柱」と呼ぶ。『広雅』にいう。「日時計の柱が影を掛ける」。どちらもそのとおりである。晋の葛洪の『字苑』に至って、はじめて偏に彡を加えた「影」の字ができた。音は於景の反である。ところが世間ではすぐに『書経』『周礼』『荘子』『孟子』を書き換えて葛洪の字に従わせてしまう。これははなはだしい過ちである。
解説
この章句が説くこと
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『顔氏家訓』書證吾昔初めて説文を看るに、世字を蚩薄す。正に従わば則ち人の識らざるを懼れ、俗に随わば則ち意に其の非なるを嫌う。略ぼ是れ筆を下すを得ざるなり。見る所漸く広くして、更に通変を知る。前の執を救うこと、将に半ばならんと欲す。若し文章著述ならば、猶お微しく相い影響する者を択びて之を行う。官曹の文書、世間の尺牘は、幸わくは俗に違わざれ。
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『顔氏家訓』書證春秋説は人と十四と心を以て徳と為し、詩説は二の天下に在るを以て酉と為し、漢書は貨泉を以て白水真人と為し、新論は金昆を以て銀と為し、国志は天の上に口有るを以て呉と為し、晋書は黄頭小人を以て恭と為し、宋書は召刀を以て邵と為し、参同契は人の告を負うを以て造と為す。此くの如きの例は、蓋し数術の謬語にして、仮借依附し、雑うるに戯笑を以てするのみ。猶お貢の字を転じて項と為し、叱を以て匕と為すがごとし。安んぞ此を用いて文字の音読を定むべけんや。潘・陸諸子の離合の詩・賦、栻卜、破字経、及び鮑昭の謎字は、皆な流俗に会するを取る。声形を以て論ずるに足らざるなり。
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『顔氏家訓』書證河間の邢芳、吾に語りて云う、「賈誼伝に云う、『日中には必ず熭す』と。注に、『熭は、暴なり』と。曾て人の解して云うを見る、『此れは是れ暴疾の意なり。正に日中は須臾ならず、卒然として便ち昃くを言うのみ』と。此の釈は当と為すか」と。吾邢に謂いて曰く、「此の語は本と太公の六韜に出づ。字書を案ずるに、古者、暴曬の字と暴疾の字とは相い似たり。唯だ下のみ少しく異なる。後人専輒に傍らに日を加うるのみ。日中の時、必ず須らく曝曬すべしと言う。爾らざれば、其の時を失うなり。晋灼已に詳釈有り」と。芳笑いて服して退けり。
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『顔氏家訓』書證自ずから訛謬有りて、過ぎて鄙俗を成す。「乱」の傍らを「舌」と為し、「揖」の下に「耳」無く、「黿」「鼉」は「亀」に従い、「奮」「奪」は「雚」に従い、「席」の中に「帯」を加え、「悪」の上に「西」を安んじ、「鼓」の外に「皮」を設け、「鑿」の頭に「毀」を生じ、「離」は則ち「禹」を配し、「壑」は乃ち「豁」を施し、「巫」は「経」の傍らに混じり、「皋」は「沢」の片に分かれ、「猟」は化して「獦」と為り、「寵」は変じて「竉」と成り、「業」の左に「片」を益し、「霊」の底に「器」を著く。「率」の字は自ずから律の音有るに、強いて改めて別と為す。「単」の字は自ずから善の音有るに、輒ち析ちて異と成す。此くの如きの類は、治めざるべからず。
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