顔氏家訓 / 慕賢
齊文宣帝即位數年、便沈湎縱恣、略無綱紀、尙能委政尙書令楊遵彥、內外清謐、朝野晏如、各得其所、物無異議、終天保之朝。遵彥後爲孝昭所戮、刑政於是衰矣。斛律明月齊朝折衝之臣、無罪被誅、將士解體、周人始有吞齊之志、關中至今譽之。此人用兵、豈止萬夫之望而已哉!國之存亡、繫其生死。
新字:斉文宣帝即位数年、便沈湎縦恣、略無綱紀、尚能委政尚書令楊遵彦、内外清謐、朝野晏如、各得其所、物無異議、終天保之朝。遵彦後為孝昭所戮、刑政於是衰矣。斛律明月斉朝折衝之臣、無罪被誅、将士解体、周人始有呑斉之志、関中至今誉之。此人用兵、豈止万夫之望而已哉!国之存亡、繋其生死。
書き下し
斉の文宣帝即位して数年、便ち沈湎縦恣にして、略ぼ綱紀無し。尚お能く政を尚書令の楊遵彦に委ね、内外清謐にして、朝野晏如たり。各おの其の所を得て、物に異議無く、天保の朝を終う。遵彦後に孝昭の戮する所と為り、刑政是において衰えたり。斛律明月は斉朝折衝の臣なり。罪無くして誅せられ、将士解体す。周人始めて斉を吞むの志有り。関中は今に至るまで之を誉む。此の人の兵を用うるは、豈に止だ万夫の望のみならんや。国の存亡は、其の生死に繋がる。
現代語訳
北斉の文宣帝は即位して数年で、酒に溺れ、ほしいままに振る舞い、ほとんど秩序がなかった。それでも政治を尚書令の楊遵彦に委ねることはでき、内外は静かに治まり、朝廷も民間も安らかであった。それぞれが自分の場所を得て、誰も異議を唱えず、天保年間を終えた。遵彦は後に孝昭帝に殺され、刑政はこれによって衰えた。斛律明月は北斉の敵を退ける臣であった。罪もないのに誅殺され、将兵の心は離れた。北周は初めて北斉を併呑する志を抱いた。関中では今もこの人を称えている。この人の用兵は、どうして万人の期待というだけにとどまろうか。国の存亡は、その人の生死に懸かっていた。
解説
この章句が説くこと
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『顔氏家訓』慕賢張延雋の晋州行台左丞と為るや、主将を匡維し、疆埸を鎮撫し、器用を儲積し、黎民を愛活す。隠として敵国の若きなり。群小志を行うを得ず、力を同じくして之を遷す。既に代わるの後、公私擾乱す。周師一挙して、此の鎮先ず平らぐ。斉の亡ぶるの迹、是に啓かれたり。
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『長短経』君徳後斉の文宣帝、狂悖の跡は、桀・紂の為さざる所なり。而るに国富み人豊かにして、乱亡に至らず。何ぞや。〔宣帝、名は洋、後斉の高歓の第二子、後魏の禅を受くるなり。〕虞南曰く「昔、斉の桓は奢淫にして礼を亡くし、人倫の棄つる所なり。六翮を仲父に仮りて、遂に諸侯に伯たり。宣武帝は鄙穢忍虐、古今に比無し。万幾を遵彦に委ねて宗国を保全す。其の任用して才を得るを以て、社稷の猶お存する所以なり」と。〔議に曰く、殷に三仁有り、太康に五弟有り、亦た皆な賢者なり。而るに国は墟と為る。何ぞや。鬻子曰く「君子の人と謀るや、能く必ず道を用うるも、而れども必ずしも受けらるるを見る能わず。能く必ず忠なるも、而れども必ずしも入れらるるを見る能わず。能く必ず信なるも、而れども必ずしも信ぜらるるを見る能わず。故に虞公は宮之奇の謀を用いずして晋に賊わる。仇由は赤章の言を聴かずして智氏に亡ぶ。天下の国、忠臣謀士有らざるは莫し。但だ用うると用いざるとに在るのみ。苟くも用いずと為さば、反って君に誤りを貽す。賢人君子、安んぞ能く敗乱を救わんや」と。〕
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貞観政要・政体貞観十六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「或いは君は上に乱れ、臣は下に理まる。或いは臣は下に乱れ、君は上に治まる。二者苟(も)し逢わば、何れをか甚だしと為すか」と。特進魏徴対えて曰く、「君心治まれば、則ち下の非を照見す。一を誅して百を勧む。誰か敢えて威を畏れて力を尽くさざらん。若し上に昏暴にして、忠諫従わずんば、百里奚(ひゃくりけい)・伍子胥の虞(ぐ)・呉に在るが如しと雖も、其の禍を救わず。敗亡も亦た継がん」と。太宗曰く、「必ず此の如くんば、斉の文宣は昏暴なるも、楊遵彦(ようじゅんげん)は正道を以て之を扶(たす)けて治まるを得たり。何ぞや」と。徴曰く、「遵彦は暴主を弥縫(びほう)し、蒼生を救理す。纔(わず)かに乱を免るるを得たるも、亦た甚だ危苦なり。人主の厳明にして、臣下は法を畏れ、直言正諫、皆な信用せらるると、年を同じくして語るべからず」と。
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『顔氏家訓』省事斉の季世、多く財貨を以て外家に托附し、女謁を諠動す。守宰を拝する者は、印組光華、車騎輝赫、栄は九族を兼ね、貴を一時に取る。而して執政の患う所と為り、随いて伺察せらる。既に利を以て得れば、必ず利を以て殆うし。微かに風塵に染まれば、便ち肅正に乖く。坑阱殊に深く、瘡痏未だ復せず。縦い死を免るるを得るも、家を破らざるは莫し。然る後に臍を噬むも、亦復た何ぞ及ばんや。吾南より北に及ぶまで、未だ嘗て一言も時人と身分を論ぜざるなり。通達する能わざるも、亦た尤む無し。
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『顔氏家訓』慕賢孝元嘗て典籤の恵編を遣わし、文章を送りて蕭祭酒に示す。祭酒問いて云う、「君王比ごろ書翰を賜い、及び詩筆を写す。殊に佳手たり。姓名は誰と為す。那ぞ都て声問無きを得んや」と。編実を以て答う。子雲嘆じて曰く、「此の人は後生に比無し。遂に世の称する所と為らざるは、亦た是れ奇事なり」と。是において聞く者稍く復た目を刮る。稍く仕えて尚書儀曹郎に至り、末に晋安王の侍読と為り、王に随いて東下す。西台の陥没するに及び、簡牘湮散す。丁も亦た尋いで揚州に卒す。前に軽んずる所の者、後に一紙を思うも、得べからざるなり。
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説苑・尊賢禹は夏を以て王たり、桀は夏を以て亡ぶ。湯は殷を以て王たり、紂は殷を以て亡ぶ。闔廬は呉を以て天下に戦勝して敵無く、而して夫差は越に見禽らる。文公は晋国を以て霸たり、而して厲公は匠麗の宮に見弑せらる。威王は斉を以て天下に強く、而して湣王は廟梁に弑死す。穆公は秦を以て名を顕し号を尊くし、而して二世は望夷に劫かさる。其の君王たる所以は同じくして、功跡の等しからざる者は、任ずる所異なればなり。是の故に成王襁褓に処りて諸侯に朝せしむるは、周公の事を用えればなり。趙の武霊王五十年にして沙丘に餓死するは、李充に任ぜし故なり。桓公管仲を得て、九たび諸侯を合わせ、一たび天下を匡す。管仲を失いて豎刁・易牙に任じ、身死して葬られず、天下の笑いと為る。一人の身、栄辱倶に施さる、任ずる所に在り。故に魏に公子無忌有りて、地を削られて復た得たり。趙は藺相如に任じて、秦兵敢えて鄢陵に出でず。唐睢に任じて、国独り特立す。楚に申包胥有りて、昭王位に反る。斉に田単有りて、襄王国を得たり。此に由りて之を観れば、国に賢佐俊士無くして、能く功を成し名を立て、危を安んじ絶を継ぐ者は、未だ嘗て有らざるなり。故に国は大を務めずして民心を得るを務め、佐は多きを務めずして賢俊を得るを務む。民心を得る者は民之に往き、賢佐有る者は士之に帰す。文王炮烙の刑を除かんことを請いて殷民従い、湯張網の者の三面を去りて夏民従い、越王旧冢を隳たずして呉人服す、其の民心に順う所以を為せばなり。故に声同じければ処異なりて相応じ、徳合すれば未だ見えずして相親しむ。賢者本朝に立てば、則ち天下の豪、相率いて之に趨く。何を以て其の然るを知るや。曰く、管仲は桓公の賊なり、鮑叔以て己より賢なりとして之を進めて相と為し、七十言にして説くこと乃ち聴かる。遂に桓公をして報讎の心を除きて国政を委ねしむ。桓公垂拱無事にして諸侯に朝せしむるは、鮑叔の力なり。管仲の能く桓公に北走して自危の心無き所以の者は、鮑叔に声を同じくすればなり。紂王子比干を殺し、箕子髪を被りて狂を佯る。陳の霊公泄冶を殺して鄧元陳を去る。是より後、殷は周に兼ねられ、陳は楚に亡ぶ。其の比干・泄冶を殺して箕子と鄧元とを失いしを以てなり。燕の昭王郭隗を得て、鄒衍・楽毅斉・趙より至り、蘇子・屈景周・楚より至る。是に於いて兵を挙げて斉を攻め、閔王を莒に棲ましむ。燕地を校し衆を計るに、斉と均しきに非ざれども、然れども能く意を信ぶこと此に至る所以の者は、士を得るに由ればなり。故に常安の国無く、恒治の民無し。賢を得れば則ち安昌、之を失えば則ち危亡す。古より今に及ぶまで、未だ然らざる者有らざるなり。明鏡は形を昭らかにする所以なり、往古は今を知る所以なり。夫れ往古の危亡する所以を悪知りて、其の安昌する所以に迹を襲うことを務めざれば、則ち未だ卻走して前人に逮ばんことを求むるに異ならざるなり。太公之を知る、故に微子の後を挙げ、比干の墓を封ず。夫れ聖人の死者に於けるすら尚お是くの如く厚し、況んや当世にして生存する者をや。則ち其の失わざるべきこと識るべし。
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