貞観政要 / 政体
貞觀十六年,太宗謂侍臣曰:「或君亂於上,臣理於下;或臣亂於下,君治於上。二者茍逢,何者為甚?」特進魏徵對曰:「君心治,則照見下非。誅一勸百,誰敢不畏威盡力?若昏暴於上,忠諫不從,雖百里奚、伍子胥之在虞、吳,不救其禍,敗亡亦繼。」太宗曰:「必如此,齊文宣昏暴,楊遵彥以正道扶之得治,何也?」徵曰:「遵彥彌縫暴主,救理蒼生,才得免亂,亦甚危苦。與人主嚴明,臣下畏法,直言正諫,皆見信用,不可同年而語也。」
新字:貞観十六年,太宗謂侍臣曰:「或君乱於上,臣理於下;或臣乱於下,君治於上。二者苟逢,何者為甚?」特進魏徴対曰:「君心治,則照見下非。誅一勧百,誰敢不畏威尽力?若昏暴於上,忠諫不従,雖百里奚、伍子胥之在虞、呉,不救其禍,敗亡亦継。」太宗曰:「必如此,斉文宣昏暴,楊遵彦以正道扶之得治,何也?」徴曰:「遵彦弥縫暴主,救理蒼生,才得免乱,亦甚危苦。与人主厳明,臣下畏法,直言正諫,皆見信用,不可同年而語也。」
書き下し
貞観十六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「或いは君は上に乱れ、臣は下に理まる。或いは臣は下に乱れ、君は上に治まる。二者苟(も)し逢わば、何れをか甚だしと為すか」と。特進魏徴対えて曰く、「君心治まれば、則ち下の非を照見す。一を誅して百を勧む。誰か敢えて威を畏れて力を尽くさざらん。若し上に昏暴にして、忠諫従わずんば、百里奚(ひゃくりけい)・伍子胥の虞(ぐ)・呉に在るが如しと雖も、其の禍を救わず。敗亡も亦た継がん」と。太宗曰く、「必ず此の如くんば、斉の文宣は昏暴なるも、楊遵彦(ようじゅんげん)は正道を以て之を扶(たす)けて治まるを得たり。何ぞや」と。徴曰く、「遵彦は暴主を弥縫(びほう)し、蒼生を救理す。纔(わず)かに乱を免るるを得たるも、亦た甚だ危苦なり。人主の厳明にして、臣下は法を畏れ、直言正諫、皆な信用せらるると、年を同じくして語るべからず」と。
現代語訳
貞観十六年、太宗が側近の臣に言った。「君主が上で乱れていて、臣下が下でよく治めている場合。臣下が下で乱れていて、君主が上でよく治めている場合。この二つが起きたとしたら、どちらがひどいだろうか」。特進の魏徴が答えた。「君主の心が治まっていれば、下の非を照らし見ることができます。一人を罰して百人を励ませる。誰が威を恐れて力を尽くさないでしょうか。しかし上が愚かで暴虐で、忠実な諫言が受け入れられなければ、百里奚や伍子胥のような人物が虞や呉にいたとしても、その禍を救えません。滅亡も続くでしょう」。太宗は言った。「必ずそうだとすれば、北斉の文宣帝は愚かで暴虐だったが、楊遵彦が正道をもって支えて治まった。あれはどういうことか」。魏徴は言った。「楊遵彦は暴君の穴を繕い、民を救い治めました。かろうじて乱を免れましたが、たいへんな危険と苦労でした。君主が厳明で、臣下が法を畏れ、直言や正論の諫めがみな信用される場合とは、同列に語れません」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・君臣鑑戒貞観三年、太宗侍臣に謂いて曰く、「君臣は本と治乱を同じくし、安危を共にす。若し主は忠諫を納れ、臣は直言を進めば、斯れ故に君臣は契を合わす。古来重んずる所なり。若し君自ら賢とし、臣匡正せずんば、危亡せざらんと欲するも、得べからざるなり。君其の国を失えば、臣も亦た独り其の家を全うする能わず。隋の煬帝の暴虐に至るが如きは、臣下は口を鉗ざす。卒に其の過ちを聞かざらしめ、遂に滅亡に至る。虞世基等も尋いで亦た誅死せり。前事遠からず。朕と卿等と、慎まざるを得べけんや。後の嗤う所と為る無かれ」と。
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貞観政要・辨興亡貞観九年、太宗魏徴に謂いて曰く、「頃(このごろ)周・斉の史を読む。末代の亡国の主の悪を為すは、多く相い類するなり。斉主は深く奢侈を好む。有らゆる府庫は之を用いて略ぼ尽くす。乃ち関市に至るまで税斂せざる無し。朕は常に謂う、此れ猶お饞人の自ら其の肉を食らうがごとし。肉尽くれば必ず死す。人君の賦斂已まずんば、百姓既に弊れ、其の君も亦た亡ぶ。斉主は即ち是なり。然れども天元と斉主と、若為(いかん)が優劣なる」と。徴対えて曰く、「二主の国を亡ぼすは同じと雖も、其の行いは則ち別なり。斉主は愞弱(だじゃく)にして、政は多門より出づ。国に綱紀無く、遂に亡滅に至る。天元は性は凶にして強く、威福は己に在り。亡国の事は、皆な其の身に在り。此を以て之を論ずれば、斉主を劣と為す」と。
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貞観政要・公平陛下は聡明神武、天姿英睿なり。志は泛愛に存し、引納すること多塗なり。善を好むも甚だしくは人を択ばず。悪を疾(にく)むも未だ佞を遠ざくる能わず。又た言を出すに隠す無く、悪を疾むこと太(はなは)だ深し。人の善を聞くも或いは未だ全くは信ぜず。人の悪を聞けば以て必然と為す。独見の明有りと雖も、猶お恐らくは理は或いは未だ尽くさざらん。何となれば、君子は人の善を揚げ、小人は人の悪を訐(あば)く。悪を聞きて必ず信ぜば、則ち小人の道長ぜん。善を聞きて或いは疑わば、則ち君子の道消えん。国家を為むる者は、君子を進めて小人を退くるに急なり。乃ち君子の道をして消えしめ、小人の道をして長ぜしめば、則ち君臣は序を失い、上下は否隔す。乱亡を恤(うれ)えずんば、将た何を以て治めんや。且つ世俗常人は、心に遠慮無く、情は告訐に在り、好んで朋党を言う。夫れ善を以て相い成すを同徳と謂い、悪を以て相い済(な)すを朋党と謂う。今は則ち清濁共に流れ、善悪別無し。告訐を以て誠直と為し、同徳を以て朋党と為す。之を朋党と為さば、則ち事は信ずべき無しと謂う。之を誠直と為さば、則ち言は皆な取るべしと謂う。此れ君恩の下に結ばれざる所以、臣忠の上に達せざる所以なり。大臣は辯正する能わず、小臣は之を敢えて論ずる莫し。遠近は風を承け、混然として俗を成す。国家の福に非ず、治を為むるの道に非ず。適(まさ)に以て奸邪を長じ、視聴を乱し、人君をして信ずる所を知らざらしめ、臣下をして相い安んずるを得ざらしむるに足る。若し遠慮せず、深く其の源を絶たずんば、則ち後患は未だ之れ息(や)まざるなり。今の幸いにして未だ敗れざるは、君に遠慮有りて、始めに之を失うと雖も、必ず終わりに之を得るに由る故なり。若し時に少しく隳(くず)るるに逢い、往きて返らずんば、之を悔いんと欲すと雖も、必ず及ぶ所無からん。既に以て諸を後嗣に伝うべからず。復た何を以て法を将来に垂れんや。且つ夫れ善を進め悪を黜(しりぞ)くるは、人に施す者なり。古を以て鑑と作すは、己に施す者なり。貌を鑑るは止水に在り、己を鑑るは哲人に在り。能く古の哲王を以て、己の行事に鑑みば、則ち貌の妍醜は宛然として目に在り、事の善悪は自ら心に得ん。司過の史を労する無く、芻蕘の議を仮らず、巍巍の功は日に著れ、赫赫の名は弥々遠からん。人君と為る者、務めざるべけんや。
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貞観政要・求諫貞観二年、太宗侍臣に謂いて曰く、「明主は短を思いて益ます善く、暗主は短を護りて永く愚なり。隋の煬帝は好んで自ら矜誇(きょうこ)し、短を護りて諫を拒む。誠に亦た実に犯忤(はんご)し難し。虞世基は敢えて直言せず。或いは恐らくは未だ深き罪と為さず。昔、箕子は狂を佯(いつわ)りて自ら全うす。孔子も亦た其の仁を称す。煬帝の殺さるるに及び、世基は同に死すに合するや否や」と。杜如晦対えて曰く、「天子に諍臣有らば、無道なりと雖も其の天下を失わず。仲尼は称す、『直なるかな史魚。邦に道有れば矢の如く、邦に道無きも矢の如し』と。世基、豈に煬帝の無道にして、諫諍を納れざるを以て、遂に口を杜(と)ざして言う無かるべけんや。位を偸安(とうあん)して重んじ、又た職を辞し退くを請う能わず。則ち箕子の狂を佯りて去るとは、事理同じからず。昔、晋の恵帝の賈后は将に湣懐太子を廃せんとす。司空張華は竟に苦争する能わず、意に阿(おもね)りて苟(いやしく)も免る。趙王倫の兵を挙げて后を廃するに及び、使いを遣わして華を収む。華曰く、『将に太子を廃せんとするの日、是れ言無きに非ず。当に納用せられざりしなり』と。其の使曰く、『公は三公と為る。太子罪無くして廃せらる。言既に従われずんば、何ぞ身を引きて退かざる』と。華は辞として以て答うる無し。遂に之を斬り、其の三族を夷(たい)らぐ。古人に云える有り、『危うくして持せず、顛れて扶けずんば、則ち将た焉くんぞ彼の相を用いん』と。故に『君子は大節に臨みて奪うべからざるなり』。張華は既に抗直にして節を成す能わず。遜言も身を全うするに足らず。王臣の節は固より已に墜ちたり。虞世基は位は宰輔に居り、言うを得るの地に在り。竟に一言の諫諍無し。誠に亦た死に合す」と。太宗曰く、「公の言は是なり。人君は必ず須らく忠良の輔弼を得べし。乃ち身安く国寧きを得ん。煬帝は豈に下に忠臣無く、身は過ちを聞かず、悪積み禍盈ち、滅亡斯に及ぶに非ずや。若し人主の行う所当たらずして、臣下又た匡諫する無く、苟も阿順に在り、事皆な美を称せば、則ち君は暗主と為り、臣は諛臣と為る。君暗く臣諛(へつら)わば、危亡遠からず。朕は今、志は君臣上下、各々至公を尽くし、共に相切磋して、以て治道を成すに在り。公等は各々宜しく忠讜を尽くし、朕の悪を匡救するに務むべし。終に直言の意に忤(さか)らうを以て、輒(すなわ)ち相責怒せず」と。
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貞観政要・杜讒邪貞観十年、太宗侍臣に謂いて曰く、「太子の保傅は、古より其の選を難しとす。成王は幼小なるも、周・召を以て保傅と為す。左右は皆な賢なり。以て仁を長ずるに足る。理を致して太平、称して聖主と為す。秦の胡亥に及びては、始皇の愛する所なり。趙高、傅と作り、教うるに刑法を以てす。其の篡(うば)うに及ぶや、功臣を誅し、親戚を殺す。酷烈已まず、踵を旋らして亦た亡ぶ。此を以て言えば、人の善悪は、誠に近習に由る。朕は弱冠の交遊、惟だ柴紹・竇誕等のみ。人と為り既に三益に非ず。朕の茲の宝位に居り、天下を経理するに及び、堯・舜の明に及ばずと雖も、庶(ちか)くは孫皓・高緯の暴を免る。此を以て言えば、復た染むるに由らず。何ぞや」と。魏徴曰く、「中人は与に善を為すべく、与に悪を為すべし。然れども上智の人は自ら染まる所無し。陛下は命を天より受け、寇乱を平定し、万民の命を救い、理は升平を致す。豈に紹・誕の徒、能く聖徳を累(わずら)わさんや。但だ経に云う、『鄭声を放ち、佞人を遠ざく』と。近習の間、尤も宜しく深く慎むべし」と。太宗曰く、「善し」と。
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貞観政要・君道貞観二年、太宗魏徴に問いて曰く、「何をか明君暗君と為すと謂う」と。徴曰く、「君の明なる所以の者は、兼ね聴けばなり。其の暗なる所以の者は、偏り信ずればなり。《詩》に云く、『先人に言有り、芻蕘(すうじょう)に詢(と)う』と。昔、唐・虞の理むるや、四門を辟(ひら)き、四目を明らかにし、四聡を達す。是を以て聖にして照らさざる無し。故に共・鯀(こん)の徒も、塞ぐ能わざるなり。靖言庸回(せいげんようかい)も、惑わす能わざるなり。秦の二世は則ち其の身を隠蔵し、疎賤を捐隔(えんかく)して趙高を偏信す。天下潰叛するに及びて、聞くを得ざるなり。梁の武帝は朱異を偏信す。而して侯景は兵を挙げて闕に向かうも、竟に知るを得ざるなり。隋の煬帝は虞世基を偏信す。而して諸賊は城を攻め邑を剽(おびや)かすも、亦た知るを得ざるなり。是の故に人君は兼ね聴き下を納るれば、則ち貴臣も壅蔽(ようへい)するを得ずして、下情は必ず上に通ずるを得るなり」と。太宗甚だ其の言を善しとす。
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