韓非子 / 二柄第七
爲人臣者陳而言,君以其言授之事,專以其事責其功。功當其事,事當其言,則賞;功不當其事,事不當其言,則罰。故羣臣其言大而功小者則罰,非罰小功也,罰功不當名也;羣臣其言小而功大者亦罰,非不說於大功也,以爲不當名也害甚於有大功,故罰。
新字:為人臣者陳而言,君以其言授之事,専以其事責其功。功当其事,事当其言,則賞;功不当其事,事不当其言,則罰。故羣臣其言大而功小者則罰,非罰小功也,罰功不当名也;羣臣其言小而功大者亦罰,非不説於大功也,以為不当名也害甚於有大功,故罰。
書き下し
人臣爲る者は陳べて言ひ、君は其の言を以て之に事を授け、專ら其の事を以て其の功を責む。功其の事に當たり、事其の言に當たれば、則ち賞す。功其の事に當たらず、事其の言に當たらざれば、則ち罰す。故に羣臣の其の言大にして功小なる者は則ち罰す。小功を罰するに非ず、功の名に當たらざるを罰するなり。羣臣の其の言小にして功大なる者も亦た罰す。大功を說(よろこ)ばざるに非ず、名に當たらざるの害は大功有るよりも甚だしと以爲(おも)へばなり、故に罰す。
現代語訳
臣下は自分の考えを述べ、君主はその言葉に応じて仕事を授け、もっぱらその仕事に基づいて成果を求める。成果が仕事に見合い、仕事が発言に見合っていれば賞する。成果が仕事に見合わず、仕事が発言に見合わなければ罰する。だから臣下のうち、発言が大きくて功績が小さい者は罰する。功績が小さいことを罰するのではなく、功績が申告(名)と一致しないことを罰するのである。臣下のうち、発言が小さくて功績が大きい者もまた罰する。大きな功績を喜ばないのではない。申告と一致しないことの害は、大きな功績があることよりも重いと考えるから罰するのである。
解説
臣下の中で、申し出た話は小さいのに、実際の成果がそれをはるかに上回って大きい者もまた罰する、という一見不思議に思える教えです。これは大きな成果そのものを喜ばないという意味ではありません。問題にされているのは、本当はもっとできると分かっていながら、あえて低い目標を申し出て周りを油断させた、いわば控えめに見せかけて実力や事情を隠していたということです。この隠しごとで人を欺いた害は、大きな成果がもたらす利益よりも重く見るべきだ、というのがこの章句の考え方です。これは会社での目標申告に限らず、家庭でこれくらいしかできないと言っておきながら実際は違う力を隠している場合や、友人に本当の事情を明かさずに驚かせようとする場合にも通じます。誠実に見通しを伝える姿勢そのものが、周りとの信頼を保つ土台になるのです。
この章句が説くこと
過小申告目標設定情報隠蔽誠実さ信頼関係
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