呂氏春秋 / 求人①
身定,國安,天下治,必賢人。古之有天下也者,七十一聖。觀於春秋,自魯隱公以至哀公十有二世,其所以得之,所以失之,其術一也。得賢人,國無不安,名無不榮;矢賢人,國無不危,名無不辱。先王之索賢人無不以也,極卑極賤,極遠極勞。虞用宮之奇、吳用伍子胥之言,此二國者,雖至於今存可也,則是國可壽也。有能益人之壽者,則人莫不願之。今壽國有道,而君人者而不求,過矣。
新字:身定,国安,天下治,必賢人。古之有天下也者,七十一聖。観於春秋,自魯隠公以至哀公十有二世,其所以得之,所以失之,其術一也。得賢人,国無不安,名無不栄;矢賢人,国無不危,名無不辱。先王之索賢人無不以也,極卑極賤,極遠極労。虞用宮之奇、吳用伍子胥之言,此二国者,雖至於今存可也,則是国可寿也。有能益人之寿者,則人莫不願之。今寿国有道,而君人者而不求,過矣。
書き下し
身定まり、國安んじ、天下治まるには、賢人を必とす。古の天下を有ちし者は、七十一聖。春秋を觀るに、魯の隱公自り以て哀公に至るまで十有二世、其の之を得る所以、之を失う所以、其の術は一なり。賢人を得れば、國安んぜざる無く、名榮えざる無し。賢人を失えば、國危うからざる無く、名辱められざる無し。先王の賢人を索むるや以いざる無く、卑きを極め賤しきを極め、遠きを極め勞れを極む。虞、宮之奇を用い、呉、伍子胥の言を用いなば、此の二國は、今に至ると雖も存して可なり。則ち是れ國壽す可きなり。能く人の壽を益す者有れば、則ち人之を願わざるは莫し。今國を壽するに道有り、而るに人に君たる者にして求めざるは、過まてり。
現代語訳
わが身が定まり、国が安んじ、天下が治まるためには、必ず賢人が要る。昔、天下を保った者は七十一人の聖王であった。春秋の時代を見ると、魯の隠公から哀公に至るまで十二代、国を得た理由も失った理由も、その方法は一つ、賢人の有無であった。賢人を得れば国は安泰でないことがなく、名は栄えないことがない。賢人を失えば国は危うくないことがなく、名は辱められないことがない。先王が賢人を求めるにはあらゆる手を尽くし、身分の低い者や賤しい者のもとにも、遠い所へも労苦を惜しまず出向いた。もし虞が宮之奇を用い、呉が伍子胥の言葉を用いていれば、この二国は今日まで存続していてもおかしくなかった。つまり国は寿命を延ばせるのである。人の寿命を延ばせる者がいれば、誰もがそれを願う。今、国の寿命を延ばす道があるのに、君主でありながらそれ(賢人)を求めないのは、誤りである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・梁惠王章句下孟子、齊の宣王に見えて曰く、「所謂故國とは、喬木有るの謂を謂うに非ざるなり。世臣有るの謂なり。王には親臣無し。昔者(セキ・ジャ)進むる所、今日其の亡を知らざるなり。」王曰く、「吾、何を以て其の不才を識りて之を舍てん。」曰く、「國君、賢を進むること已むを得ざるが如くす。將に卑をして尊を踰え、疏をして戚を踰えしめんとす。慎まざる可けんや。左右皆賢なりと曰うも、未だ可ならざるなり。諸大夫皆賢と曰うも、未だ可ならざるなり。國人皆賢と曰う、然る後に之を察し、賢なるを見て、然る後に之を用いよ。左右皆不可と曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆不可と曰うも、聽く勿れ。國人皆不可と曰う、然る後に之を察し、不可なるを見て、然る後に之を去れ。左右皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。國人皆殺す可しと曰う、然る後に之を察し、殺す可きを見て、然る後に之を殺せ。故に曰く、國人之を殺すなり、と。此の如くにして、然る後以て民の父母為る可し。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁賢を信ぜざれば、則ち國空虚なり。禮義無ければ、則ち上下亂る。政事無ければ、則ち財用足らず。」 <解説> 国の大事として、仁賢・禮義・政事の三者を挙げているが、尹氏云う、「三者、仁賢を以て本と為す、仁賢無ければ、則ち禮義・政事、之に處りて皆其の道を以てせず。」と。乃ち三者の中でも仁賢が最も根本であり、仁者・賢者がおればこそ、国の禮義や政治政策は善く行われるということである。
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『韓非子』亡徵第十五境内の傑、事とされずして、封外の士を求め、功伐を以て課試せずして、好んで名問を以て舉錯し、羈旅起り貴くして以て故常を陵ぐ者は、亡ぶ可きなり。
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史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
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史記 孫子呉起列伝呉起是に於いて魏の文侯の賢なるを聞き、之に事へんと欲す。文侯、李克に問ひて曰く、「呉起は何如なる人ぞ」と。李克曰く、「起は貪にして色を好む。然れども兵を用ゐるは、司馬穰苴も過ぐる能はざるなり」と。是に於いて魏の文侯以て将と為し、秦を撃ち、五城を抜く。
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大学《秦誓》(しんせい)に曰く、「若(も)し一つの臣有らん。断断(だんだん)として他技無く、其の心休休焉(きゅうきゅうえん)として、其れ容るる有るが如し。人の技有るを、己之れ有るが如くし、人の彦聖(げんせい)なるを、其の心之を好むこと、啻(ただ)に其の口より出づるが如きのみならず。実に能く之を容(い)る。以て我が子孫黎民(れいみん)を保(やすん)ずべし、尚(な)お亦た利有らん哉(かな)。人の技有るを、媢嫉(ぼうしつ)して以て之を悪み、人の彦聖なるを、之を違(さまた)げて通ぜざらしむ。実に容るる能わず。以て我が子孫黎民を保つ能わず、亦た殆(あやう)き哉」と。唯(ただ)仁人(じんじん)のみ之を放流(ほうりゅう)し、四夷に迸(しりぞ)け、与(とも)に中国を同じくせず。此れ唯仁人のみ能く人を愛し、能く人を悪むと謂う。賢を見て挙ぐる能わず、挙げて先んずる能わざるは、命(慢)なり。不善を見て退くる能わず、退けて遠ざくる能わざるは、過ちなり。人の悪む所を好み、人の好む所を悪む、是れ人の性を拂(もと)ると謂う。災い必ず夫(そ)の身に逮(およ)ばん。是の故に君子に大道有り、必ず忠信なるを以て之を得、驕泰(きょうたい)なるを以て之を失う。