呂氏春秋 / 貴信③
齊桓公伐魯,魯人不敢輕戰,去魯國五十里而封之,魯請比關內侯以聽,桓公許之。曹翽謂魯莊公曰:「君寧死而又死乎?其寧生而又生乎?」莊公曰:「何謂也?」曹翽曰:「聽臣之言,國必廣大,身必安樂,是生而又生也。不聽臣之言,國必滅亡,身必危辱,是死而又死也。」莊公曰:「請從。」於是明日將盟,莊公與曹翽皆懷劍至於壇上。莊公左搏桓公,右抽劍以自承,曰:「魯國去境數百里,今去境五十里,亦無生矣。鈞其死也,戮於君前。」管仲、鮑叔進,曹翽按劍當兩陛之間曰:「且二君將改圖,毋或進者。」莊公曰:「封於汶則可,不則請死。」管仲曰:「以地衛君,非以君衛地,君其許之。」乃遂封於汶南,與之盟。歸而欲勿予。管仲曰:「不可。人特劫君而不盟,君不知,不可謂智;臨難而不能勿聽,不可謂勇;許之而不予,不可謂信。不智不勇不信,有此三者,不可以立功名。予之,雖亡地亦得信。以四百里之地見信於天下,君猶得也。」莊公,仇也;曹翽,賊也。信於仇賊,又況於非仇賊者乎?夫九合之而合,壹匡之而聽,從此生矣。管仲可謂能因物矣。以辱為榮,以窮為通,雖失乎前,可謂後得之矣。物固不可全也。
新字:斉桓公伐魯,魯人不敢軽戦,去魯国五十里而封之,魯請比関内侯以聴,桓公許之。曹翽謂魯荘公曰:「君寧死而又死乎?其寧生而又生乎?」荘公曰:「何謂也?」曹翽曰:「聴臣之言,国必広大,身必安楽,是生而又生也。不聴臣之言,国必滅亡,身必危辱,是死而又死也。」荘公曰:「請従。」於是明日将盟,荘公与曹翽皆懐剣至於壇上。荘公左搏桓公,右抽剣以自承,曰:「魯国去境数百里,今去境五十里,亦無生矣。鈞其死也,戮於君前。」管仲、鮑叔進,曹翽按剣当両陛之間曰:「且二君将改図,毋或進者。」荘公曰:「封於汶則可,不則請死。」管仲曰:「以地衛君,非以君衛地,君其許之。」乃遂封於汶南,与之盟。帰而欲勿予。管仲曰:「不可。人特劫君而不盟,君不知,不可謂智;臨難而不能勿聴,不可謂勇;許之而不予,不可謂信。不智不勇不信,有此三者,不可以立功名。予之,雖亡地亦得信。以四百里之地見信於天下,君猶得也。」荘公,仇也;曹翽,賊也。信於仇賊,又況於非仇賊者乎?夫九合之而合,壱匡之而聴,従此生矣。管仲可謂能因物矣。以辱為栄,以窮為通,雖失乎前,可謂後得之矣。物固不可全也。
書き下し
齊の桓公、魯を伐つ。魯人敢て輕々しく戰わず。魯國を去ること五十里にして、之を封ず。魯、關內侯に比して以て聽かんことを請う。桓公之を許す。曹翽、魯の莊公に謂いて曰く、「君寧ろ死して又死すか。其れ寧ろ生きて又生きんか。」莊公曰く、「何の謂ぞや。」曹翽曰く、「臣の言を聽けば、國必ず廣大にして、身必ず安樂ならん。是れ生きて又生くるなり。臣の言を聽かずんば、國必ず滅亡して、身必ず危辱せられん。是れ死して又死すなり。」莊公曰く、「請う、從わん。」是に於て、明日、將に盟わんとす。莊公、曹翽と皆劍を懷にして壇上に至る。莊公左に桓公を搏え、右に劍を抽きて以て自ら承く。曰く、「魯國、境を去ること數百里なるも、今、境を去ること五十里なり。亦た生くる無し。鈞しく其れ死せば、君前に戮せられん。」管仲・鮑叔進む。曹翽、劍を按じて、兩陛の間に當りて曰く、「且に二君將に圖を改めんとす。進む者或る毋かれ。」莊公曰く、「汶に封ずれば則ち可なり、不らずんば則ち請う、死せん。」管仲曰く、「地を以て君を衛る、君を以て地を衛るに非ず。君其れ之を許せ。」乃ち遂に汶の南に封じ、之と盟う。歸りて予うること勿らんと欲す。管仲曰く、「不可なり。人特に君を劫やかして盟わざらんとして、君知らざるは、智と謂う可からず。難に臨みて聽くこと勿き能わざるは、勇と謂う可からず。之を許して予えざるは、信と謂う可からず。不智不勇不信、此の三者有れば、以て功名を立つ可からず。之を予うれば、地を亡うと雖も亦た信を得ん。四百里の地を以て信を天下に見さば、君猶ほ得るがごときなり。」莊公は仇なり。曹翽は賊なり。仇賊にも信なり。又況んや仇賊に非ざる者に於いてをや。夫れ之を九合して合し、之を壹匡して聽かるること、此れ從り生ず。管仲は能く物に因ると謂う可し。辱を以て榮と為し、窮を以て通と為す。前に失うと雖も、後に之を得たりと謂う可し。物固より全かる可からざるなり。
現代語訳
斉の桓公が魯を攻めた。魯人はあえて軽々しく戦わず、魯の都から五十里の地に境界を定められ、魯は関内侯並みの臣従を願い出て、桓公はこれを許した。曹翽が魯の荘公に言った。「殿は死んでさらに死ぬのと、生きてさらに生きるのと、どちらをお望みか」。荘公が「どういう意味か」と問うと、曹翽は「私の言を聴けば国は必ず広大となり身は安楽になる。これが生きてさらに生きることです。聴かなければ国は滅び身は危うく辱められる。これが死んでさらに死ぬことです」と答えた。荘公は「従おう」と言った。翌日、盟約を結ぼうとするとき、荘公と曹翽はともに剣をふところに壇上へ上がった。荘公は左手で桓公を捕らえ、右手で剣を抜いて自らに擬して言った。「魯の都は国境から数百里だったのに、今は五十里に迫られた。もはや生きる道はない。どうせ死ぬなら、殿の前で刺し違えよう」。管仲と鮑叔が進み出ると、曹翽は剣を構えて両階段の間に立ちふさがり「二君はまさに計画を改めようとしている。進み出る者はいるな」と言った。荘公が「汶の地に境界を定めてくれれば承知するが、さもなくば死ぬ」と言うと、管仲は「土地で君を守るのであって、君を犠牲に土地を守るのではありません。どうかお許しを」と言った。こうして汶の南に境界を定め、盟約を結んだ。桓公は帰国後、約束の地を与えまいとした。管仲は言った。「なりません。人がただ君を脅して盟約を破らせようとし、それに気づかぬのは智とはいえず、危難に臨んで聴かざるを得なかったのを後で反故にするのは勇とはいえず、許しておいて与えないのは信とはいえません。不智・不勇・不信、この三つがあっては功名は立てられません。土地を与えれば、地を失っても信を得ます。四百里の地で天下に信を示せば、君はかえって得をするのです」。荘公は敵であり、曹翽は脅した賊である。その敵や賊にさえ信を守った。まして敵でも賊でもない者にはなおさらだ。諸侯を九たび会盟させて従わせ、天下を正して聴き従わせたのも、ここから生じた。管仲は物事の情勢をうまく活かせたといえる。屈辱を栄誉に変え、行き詰まりを打開に変えた。目前では失っても、後で取り返したといえる。物事はもともと完全ではありえないのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・贊能②管子は束縛せられて魯に在り。桓公、鮑叔を相にせんと欲す。鮑叔曰く、「吾が君、霸王たらんと欲すれば、則ち管夷吾、彼に在り。臣は若かざるなり。」桓公曰く、「夷吾は寡人の賊なり。我を射し者なり。不可なり。」鮑叔曰く、「夷吾は其の君の為に人を射し者なり。君若し得て之を臣とせば、則ち彼も亦た將に君の為に人を射んとせん。」桓公聽かず、強いて鮑叔を相とせんとす。固く辭して相を讓る,桓公果して之を聽く。是に於てか人をして魯に告げしめて曰く、「管夷吾は寡人の讎なり。願わくば之を得て親ら手を加えん。」魯君許諾し、乃ち吏をして其の拳を鞹し、其の目を膠し、之を盛るに鴟夷を以てし、之を車中に置かしむ。齊の境に至るや、桓公、人をして朝車を以て之を迎え、祓うに爟火を以てし、釁するに犧猳を以てし、生かして之と國に如かしむ。有司に命じて廟を除わしめ、筵几して之に薦めて曰く、「孤の夷吾の言を聞きし自り、目は益々明らかに、耳は益々聰なり。孤敢て專らにせず。敢て以て先君に告ぐ。」因りて顧みて管子に命じて曰く、「夷吾、予を佐けよ。」管仲還り走り、再拜稽首して、令を受けて出づ。管子、齊國を治め、事を舉げて功有れば、桓公必ず先づ鮑叔を賞して曰く、「齊國をして管子を得しめし者は、鮑叔なり。」桓公は賞を行うことを知れりと謂う可し。凡そ賞を行うには其の本を欲す。本なれば則ち過ち由りて生ずること無ければなり。
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説苑・辨物斉の桓公北のかた孤竹を征す。未だ卑耳谿中に至らざること十里、闟然(こうぜん)として止まり、瞠然(どうぜん)として視ること頃(しばら)く有り、矢を奉じて未だ敢えて発せず。喟然として歎じて曰わく、「事其れ済(な)らざるか。人の長さ尺なる有り、冠冕大人の物具わる。左袪(きょ)して衣し馬前を走る者あり。」管仲曰わく、「事必ず済らん。此の人は道を知るの神なり。馬前を走る者は導くなり。左に衣を袪する者は、前に水有るなり。」左方より渡り、行くこと十里にして果たして水有り、遼水と曰う。之を表し、左方より渡れば踝(くるぶし)に至り、右方より渡れば膝に至る。已に渡りて、事果たして済る。桓公馬前に管仲を拝して曰わく、「仲父の聖此くの如きに至る、寡人罪を得ること久し。」管仲曰わく、「夷吾之を聞く、聖人は先に無形を知る、今已に形有りて乃ち之を知る、是れ夷吾教えを承くるに善きなり、聖に非ざるなり。」
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論語・八佾篇子曰く、『管仲の器、小なる哉!』或曰く、『管仲は倹なりや。』曰く、『管氏に三帰有り。』曰く、『然らば礼を知るや。』曰く、『邦君、塞門を樹つ、管氏も亦塞門を樹つ。邦君、二君の好を為すに反坫有り、管氏も亦反坫有り。管仲、その器小なる哉!』
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呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
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説苑・指武齊の桓公の時、霖雨十旬。桓公漅陵を伐たんと欲するも、其の城の雨に值うや、未だ合わず。管仲・隰朋卒徒を以て門に造る、桓公曰く、「徒眾何を以て為すか」と。管仲對えて曰く、「臣之を聞く、雨あれば則ち事有りと。夫れ漅陵雨に能わず、臣請う之を攻めん」と。公曰く、「善し」と。遂に師を興して之を伐つ。既に至れば、大卒外に間して士內に在り、桓公曰く、「其れ聖人有るか」と。乃ち旗を還して之を去る。
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孔子家語・致思子路孔子に問いて曰わく、「管仲の人と為り何如。」 子曰わく、「仁なり。」 子路曰わく、「昔管仲襄公に説くも、公受けず、是れ辯ならざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず、是れ智ならざるなり。家斉に残わるるも、憂色無し、是れ慈ならざるなり。桎梏せられて檻車に居るも、慚づる心無し、是れ醜無きなり。射る所の君に事う、是れ貞ならざるなり。召忽之に死し、管仲死せず、是れ忠ならざるなり。仁人の道、固より是くの若きか。」 孔子曰わく、「管仲襄公に説くも、襄公受けざるは、公の闇きなり。子糾を立てんと欲するも能わざるは、時に遇わざるなり。家斉に残わるるも憂色無きは、是れ権命を知ればなり。桎梏せられて慚づる心無きは、自ら裁くこと審らかなればなり。射る所の君に事うるは、変に通ずればなり。子糾に死せざるは、軽重を量ればなり。夫れ子糾未だ君と成らず、管仲未だ臣と成らず。管仲は義を才度し、管仲束縛に死せずして功名を立つるは、未だ非とす可からざるなり。召忽死すと雖も、過ちて仁を取る、未だ多しとするに足らざるなり。」