呂氏春秋 / 不廣⑥
管子、鮑叔佐齊桓公舉事,齊之東鄙人有常致苦者。管子死,豎刁、易牙用,國之人常致不苦,不知致苦,卒為齊國良工,澤及子孫。知大禮,知大禮雖不知國可也。
新字:管子、鮑叔佐斉桓公舉事,斉之東鄙人有常致苦者。管子死,豎刁、易牙用,国之人常致不苦,不知致苦,卒為斉国良工,沢及子孫。知大礼,知大礼雖不知国可也。
書き下し
管子・鮑叔、齊の桓公を佐けて事を舉ぐ。齊の東鄙の人、常に苦を致せる者有り。管子死し、豎刁・易牙用いられ、國の人常に苦ならざるを致し、苦を致すことを知らず。卒に齊國の良工と為り、澤、子孫に及ぶ。大禮を知ればなり。大禮を知れば國を知らずと雖も可なり。
現代語訳
管仲と鮑叔が斉の桓公を輔けて事業を進めていたころ、斉の東辺の人々は常に苦役や困難を負わされていた。ところが管仲が死んで豎刁や易牙が用いられるようになると、国人は常に苦しみのない安楽を与えられ、かえって苦しみというものを知らなくなった。そして彼ら(豎刁・易牙)はついに斉国の名工と称され、その恩恵は子孫にまで及んだ。これは大いなる礼(政治の根本)を心得ていたからである。大礼さえ心得ていれば、国政の細部を知らなくてもよいのである。(本段は反語的な筆致を含み、目先の安逸に流された斉の行く末を暗示する。)
解説
管仲亡きあと、佞臣の豎刁・易牙が民に目先の安楽を与えてもてはやされた顛末を記す、皮肉を含んだ結びの段です。要点は、厳しくとも国を支えた管仲・鮑叔の時代と、苦労を忘れさせて人気を得た佞臣の時代を対比し、「大礼(政治の根本)」の有無を問う点にあります。快さだけを与える政治が本当に国のためかを、反語的に読者へ突きつけています。目先の心地よさや人気取りに流されず、根本の道理を見失わないことが大切だという含意は、短期の満足と長期の健全さのどちらを取るかを迫られる現代の組織運営や政策判断にも通じます。
この章句が説くこと
不広管仲鮑叔豎刁易牙大礼
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