呂氏春秋 / 下賢④
齊桓公見小臣稷,一日三至弗得見。從者曰:“萬乘之主,見布衣之士,一日三至而弗得見,亦可以止矣。”桓公曰:“不然。士驁祿爵者,固輕其主;其主驁霸王者,亦輕其士。縱夫子驁祿爵,吾庸敢驁霸王乎?”遂見之,不可止。世多舉桓公之內行,內行雖不修,霸亦可矣。誠行之此論而內行修,王猶少。
新字:斉桓公見小臣稷,一日三至弗得見。従者曰:“万乗之主,見布衣之士,一日三至而弗得見,亦可以止矣。”桓公曰:“不然。士驁祿爵者,固輕其主;其主驁覇王者,亦輕其士。縦夫子驁祿爵,吾庸敢驁覇王乎?”遂見之,不可止。世多舉桓公之內行,內行雖不修,覇亦可矣。誠行之此論而內行修,王猶少。
書き下し
齊の桓公、小臣稷を見んとす。一日に三たび至れども見るを得ず。從者曰く、「萬乘の主、布衣の士を見んとして、一日に三たび至れども見るを得ず。亦た以て止む可し。」桓公曰く、「然らず。士の祿爵を驁んずる者は、固より其の主を輕んず。其の主の覇王を驁んずる者も、亦た其の士を輕んず。縱い夫子祿爵驁んずとも、吾庸ぞ敢て覇王を驁んぜんや。」遂に之を見、止むを可とせず。世多く桓公の內行を舉ぐ。內行修まらずと雖も、霸たるは亦た可なり。誠に之れ此の論を行いて而も內行修まれば、王たるも猶ほ少なり。
現代語訳
斉の桓公が小臣稷という賢士に会おうとして、一日に三度も足を運んだが会えなかった。従者が「万乗の君主が一庶民に会おうとして一日に三度通っても会えないのですから、もうおやめになってよいでしょう」と言った。桓公は「そうではない。俸禄や爵位を軽んじる士は、もとより主君を軽く見る。その主君が覇王の地位を軽んじれば、これまた士を軽んじることになる。たとえあの人が俸禄や爵位を軽んじても、私がどうして覇王たることを軽んじられよう」と言い、通いつづけてついに会い、途中でやめようとはしなかった。世間では桓公の私生活の乱れをあれこれ言うが、私生活が修まらなくても覇者にはなれた。もし本当にこの心得を実践したうえで私生活まで修まれば、天下の王となってもまだ足りないくらいだ。
解説
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