呂氏春秋 / 孟夏②
是月也,以立夏。先立夏三日,(大)〔太〕史謁之天子曰:「(其)〔某〕日立夏,盛德在火。」天子乃齊。立夏之日,天子親率三公九卿大夫以迎夏於南郊,還乃行賞,封侯慶賜,無不欣說。乃命樂司習合禮樂。命太尉,贊傑儁,遂賢良,舉長大。行爵出祿,必當其位。
新字:是月也,以立夏。先立夏三日,(大)〔太〕史謁之天子曰:「(其)〔某〕日立夏,盛徳在火。」天子乃斉。立夏之日,天子親率三公九卿大夫以迎夏於南郊,還乃行賞,封侯慶賜,無不欣説。乃命楽司習合礼楽。命太尉,賛傑儁,遂賢良,舉長大。行爵出禄,必当其位。
書き下し
是の月や、立夏なるを以て、立夏に先だつこと三日、太史、之を天子に謁げて曰く、「某日立夏なり。盛德火に在り。」天子乃ち齋す。立夏の日、天子親ら三公九卿大夫を率いて、以て夏を南郊に迎う。還りて、乃ち賞を行う。侯に封じ慶賜して、欣説せざる無からしむ。乃ち樂師に命じて、禮樂を合するを習わしむ。太尉に命じて、傑儁を贊し、賢良を遂め、長大を舉げしむ。爵を行い祿を出だし、必ず其の位に當たらしむ。
現代語訳
この月に立夏がある。立夏の三日前に、太史が天子に申し上げて「某日が立夏です。盛んな徳は火にあります」と告げる。天子はそこで斎戒する。立夏の日、天子はみずから三公・九卿・大夫を率いて、南郊で夏(の気)を迎える。宮廷に帰ると賞を行い、諸侯に領地を封じ祝いの賜物を与えて、誰もが喜ばないことのないようにする。そして楽師に命じて礼と楽を合わせて演奏する稽古をさせる。太尉に命じて、傑出した人物を推薦させ、賢く善良な者を登用し、長身で立派な者を挙げさせる。爵位を与え俸禄を出すにあたっては、必ずその地位にふさわしいものとする。
解説
この段は、立夏を迎える天子の一連の儀礼と人事の作法を述べます。まず太史が立夏の期日を予告し、天子は斎戒して身を清め、当日は自ら群臣を率いて南郊に夏の気を迎えます。続いて論功行賞や有能な人材の推薦・登用が行われる点が要点です。背景には、季節の到来を国家の大事として天子が率先して迎え、天の運行に人の営みを合わせるという月令の考え方があります。夏という生長の季節の始まりに、褒賞と登用によって人々の意欲を高めようとする配慮も読み取れます。現代の組織運営でも、節目に方針を示し、成果を正しく評価して適材適所の人事を行うことの大切さに通じる内容といえるでしょう。
この章句が説くこと
立夏南郊盛徳在火太尉賢良論功行賞
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説苑・復恩晋の文公亡ぐるの時、陶叔狐従ふ、文公国に反り、三たび賞を行ひて陶叔狐に及ばず、陶叔狐咎犯に見えて曰く、「吾君に従ひて亡ぐること十有三年、顔色黎黒、手足胼胝せり、今君国に反りて三たび賞を行ふも我に及ばず、意ふに君我を忘れたるか、我大故有るか、子試みに我が為に之を君に言へ」と。咎犯之を文公に言ふ、文公曰く、「嘻、我豈に是の子を忘れんや。夫れ高明至賢、徳行全誠、我を道を以て耽しませ、我を仁を以て説ばしめ、我が行ひを暴かに浣ひ、我が名を昭明にし、我をして成人為らしめし者は、吾以て上賞と為さん。我を礼を以て防ぎ、我を誼を以て諫め、我を蕃援して我をして非を為すを得ざらしめ、数々我を賢人の門に引きて請ひし者は、吾以て次賞と為さん。夫れ勇壮強禦、難前に在れば則ち前に居り、難後に在れば則ち後に居り、我を患難の中より免れしめし者は、吾又以て之が次と為さん。且つ子独り聞かざるか、人を死せしむる者は、人の身を存するに如かず、人を亡ぼす者は、人の国を存するに如かず、三行の賞の後にして、労苦の士之に次ぐ、夫れ労苦の士は、是れ子固に首為り、豈に敢へて子を忘れんや」と。周の内史叔輿之を聞きて曰く、「文公其れ霸たらんか。昔聖王は徳を先にして力を後にす、文公其れ之に当れり、詩に云く、『率履越えず』とは、此を之れ謂ふなり」と。晋の文公国に入るに、河に至り、籩豆茵席を棄てしめ、顔色黎黒、手足胼胝せる者を後に在らしむ、咎犯之を聞き、中夜にして哭す、文公曰く、「吾亡ぐること十有九年なり、今将に国に反らんとするに、夫子喜ばずして哭するは、何ぞや、其れ吾が国に反るを欲せざるか」と。対へて曰く、「籩豆茵席は、官する所以なるに、之を棄て、顔色黎黒、手足胼胝せるは、労苦を執る所以なるに、皆之を後にす、臣聞く、国君士を蔽へば、忠臣を取る所無く、大夫遊を蔽へば、忠友を取る所無し、と。今国に至るに、臣蔽ふ所の中に在り、其の哀しみに勝へず、故に哭するなり」と。文公曰く、「禍福利害咎氏と之を同じくせざれば、白水有るが如し」と、之を祝して、璧を刀にて沈めて盟す。介子推曰く、「献公の子九人、唯だ君のみ在るのみ、天未だ晋を絶たず、必ず主有らん、晋祀を主る者君に非ずして何ぞや、唯だ二三子の者以て己が力と為すは、亦た誣ならずや」と。文公即位するも、賞推に及ばず、推が母曰く、「盍ぞ亦た之を求めざる」と。推曰く、「尤めて之に效はば、罪又甚し、且つ怨言を出だせば、其の食を食らはず」と。其の母曰く、「亦た知らしめよ」と。推曰く、「言は身の文なり、身将に隠れんとす、安んぞ文を用ゐん」と。其の母曰く、「能く是の如くんば、若と俱に隠れん」と。死に至るまで復た推に見えず。従者之を憐みて、乃ち書を宮門に懸けて曰く、「龍有り矯矯たり、頃其の所を失ふ、五蛇之に従ひ、天下を周遍す、龍飢ゑて食無し、一蛇股を割く、龍其の淵に反り、其の壤土に安んず、四蛇穴に入り、皆処る所有り、一蛇穴無く、中野に号す」と。文公出でて書を見て曰く、「嗟此れ介子推なり、吾方に王室を憂ひて其の功を図らず」と。人をして之を召さしむるに則ち亡ぐ、遂に其の在る所を求む、其の綿上山中に入るを聞く。是に於て文公綿上山中を表して之を封じ、以て介推の田と為し、号して介山と曰ふ。
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