南洲翁遺訓 / 第十八条
談国事に及びし時、慨然として申されけるは、国の陵辱せらるるに当りては縦令国を以て斃るるとも、正道を践み、義を尽すは政府の本務也。然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安を謀るのみ、戦の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也。
書き下し
談国事に及びし時、慨然として申されけるは、国の陵辱せらるるに当りては縦令国を以て斃るるとも、正道を践み、義を尽すは政府の本務也。然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安を謀るのみ、戦の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也。
現代語訳
国事の話に及んだとき、憤然として言われた。国が辱められるときには、たとえ国とともに倒れようとも、正しい道を踏み、義を尽くすのが政府の本務である。それなのに、平生に金穀や理財のことを議論するのを聞けば、いかなる英雄豪傑かと見えるけれども、血の出ることに臨めば、頭を一か所に集めて、ただ目前の一時しのぎをはかるばかりだ。戦の一字を恐れて政府の本務を落としてしまったら、それは商法支配所というもので、もはや政府ではない。
解説
「商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也」——商売の事務所であって政府ではない。痛烈な一句である。西郷が突いているのは、平時の議論と有事の振る舞いのずれだ。金や利益の話をしているときは英雄豪傑のように見える人が、実際に血の出る場面になると「頭を一処に集め、唯目前の苟安を謀るのみ」——集まって、その場しのぎを相談するだけになる。会議室での威勢と、責任を取る場面での姿が違う、という観察である。ここでの争点は開戦の是非ではなく、組織が何のためにあるかを見失うことだ。損得の勘定だけをする機関になったなら、それはもう別のものだ、と。掲げた使命と、実際に何を守っているかが離れたときの言葉として読める。
この章句が説くこと
政府の本務商法支配所苟安平時と有事