言志四録 / 南洲手抄
無我則不獲其身、即是義。無物則不見其人、即是勇。
書き下し
我れ無ければ則ち其身を獲ず、即ち是れ義なり。物無ければ則ち其人を見ず、即ち是れ勇なり。
現代語訳
我(自我)がなくなれば、自分の身へのとらわれもなくなる。これがそのまま「義」である。物(外物)がなくなれば、相手(敵)の存在も目に入らなくなる。これがそのまま「勇」である。
解説
「義」と「勇」の根を、我執と外物からの解放に見た一条です。自分へのとらわれ(我)が消えれば、我が身可愛さがなくなり、正しさに徹しきれる——これが「義」。外のもの(物)へのとらわれが消えれば、敵の大きさに怯むこともなくなる——これが「勇」。つまり真の義も勇も、力んで奮い立つのではなく、「我」と「物」への執着を手放したところに自然に現れる、というのです。次条の「自ら反みて縮くば…千万人と雖も吾往かん」の孟子の言葉とも直結します。恐れや迷いの根が自我と執着にあることを突く、深い一条です。
この章句が説くこと
義と勇無我執着を離れる勇気
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