顔氏家訓 / 治家
齊吏部侍郎房文烈、未嘗嗔怒、經霖雨絶糧、遣婢糴米、因爾逃竄、三四許日、方復擒之。房徐曰:「舉家無食、汝何處來?」竟無捶撻。嘗寄人宅、奴婢徹屋爲薪略盡、聞之顰蹙、卒無一言。
新字:斉吏部侍郎房文烈、未嘗嗔怒、経霖雨絶糧、遣婢糴米、因爾逃竄、三四許日、方復擒之。房徐曰:「舉家無食、汝何処来?」竟無捶撻。嘗寄人宅、奴婢徹屋為薪略尽、聞之顰蹙、卒無一言。
書き下し
斉の吏部侍郎房文烈は、未だ嘗て嗔怒せず。霖雨を経て糧を絶やし、婢を遣わして米を糴わしむるに、因って爾に逃竄す。三四許日にして、方めて復た之を擒う。房徐ろに曰く、「挙家食無し、汝何処より来たらん」と。竟に捶撻無し。嘗て人の宅を寄るに、奴婢屋を徹して薪と為すこと略ぼ尽く。之を聞きて顰蹙するも、卒に一言無し。
現代語訳
北斉の吏部侍郎である房文烈は、これまで怒りを表したことがなかった。長雨が続いて食糧が尽きたとき、下女を遣わして米を買いに行かせたところ、そのまま逃げてしまった。三、四日ほどしてようやく捕らえた。房はゆっくりと言った。「家じゅう食べる物がないのに、お前はどこから帰ってくるというのか」。結局、鞭を当てることはなかった。かつて人の家を借りていたとき、下男下女が家を壊して薪にしてしまい、ほとんど残らなかった。それを聞いて顔をしかめたが、ついにひと言も言わなかった。
解説
直前の段が寛仁の害を説いたばかりなので、この段は両義的に読めます。逃げた下女への「家じゅう食べる物がないのに、お前はどこから帰ってくるのか」は、責めではなく事情の理解です。飢えている者が食を求めて逃げたことを、罰する筋合いではないと判断した。一方、家を壊して薪にされても一言も言わなかったのは、明らかに度を越しています。顔之推は房文烈を賞賛も批判もせず、ただ記しました。読み手に判断させる置き方です。人の事情を汲むことと、破壊を黙認することの境目はどこか。前者は必要な寛さで、後者は前段でいう巨蠹を養う態度です。同じ「怒らない」でも、中身が違います。
この章句が説くこと
房文烈挙家食無し屋を徹して薪と為す汲むことと黙認度量
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