牧民忠告 / 慎獄
教民不至,則犯禁者多,養民無術,則疾饑者眾。為守與牧,而使其至此,獨歸咎於民,難矣哉?
新字:教民不至,則犯禁者多,養民無術,則疾饑者眾。為守与牧,而使其至此,独帰咎於民,難矣哉?
書き下し
民を教うること至らざれば、則ち禁を犯す者多く、民を養うこと術無ければ、則ち疾饑(しつき)する者眾(おお)し。守と牧と為りて、其をして此に至らしめ、獨り咎(とが)を民に歸するは、難(かた)きかな。
現代語訳
民への教育が行き届いていなければ、法を犯す者が多くなり、民を養う手立てがなければ、病や飢えに苦しむ者が多くなる。守や牧といった地方長官の地位にありながら、民をこのような状態に至らせておいて、その責任だけを民に帰するというのは、道理として無理があるのではないか。
解説
「自責」は『牧民忠告』全体の精神を凝縮するような一条であり、民の犯罪や困窮の責任を、まず統治者自身に問い直せと説く。張養浩は、教育の不足が犯罪を生み、扶養の不備が飢えと病を生むという因果を明示し、それにもかかわらず結果だけを民のせいにする態度を厳しく戒める。統治者自身が原因を作りながら結果の責任だけを相手に転嫁するのは筋が通らないという論理は、現代のリーダーシップ論における「結果責任は上に、原因の追求は自分に」という考え方に通じる。部下や組織の失敗を見たとき、まず自らの指導や環境整備に不備がなかったかを問う姿勢こそが、真の責任者の態度である。
この章句が説くこと
自責責任教育養民