呂氏春秋 / 愛士④
凡敵人之來也,以求利也。今來而得死,〔是不得利而進〕,且以走為利。敵皆以走為利,則刃無與接。故敵得生於我,則我得死於敵。〔敵得死於我〕,〔則我得生於敵〕。夫得生於敵,與敵得生於我,豈可不察哉?此兵之精者也。存亡死生,決於知此而已矣。
新字:凡敵人之来也,以求利也。今来而得死,〔是不得利而進〕,且以走為利。敵皆以走為利,則刃無与接。故敵得生於我,則我得死於敵。〔敵得死於我〕,〔則我得生於敵〕。夫得生於敵,与敵得生於我,豈可不察哉?此兵之精者也。存亡死生,決於知此而已矣。
書き下し
凡そ敵人の來たるや、利を求むるを以てなり。今來たりて死を得れば、且く走ぐるを以て利と為す。敵皆走ぐるを以て利と為せば、則ち刃與に接する無し。故に敵、生を我に得れば、則ち我、死を敵に得。敵、死を我に得れば、則ち我、生を敵に得。夫れ生を敵に得ると、敵、生を我に得ると、豈に察せざる可けんや。此れ兵の精なる者なり。存亡死生は、此を知るに決せんのみ。
現代語訳
およそ敵がやって来るのは、利益を求めるからである。今やって来て死を得るならば、逃げることを利益とみなすようになる。敵が皆逃げることを利とすれば、刃を交えることもない。ゆえに敵が我において生を得れば、我は敵において死を得る。敵が我において死を得れば、我は敵において生を得る。そもそも我が敵において生を得ることと、敵が我において生を得ることとは、どうしてよく見きわめずにいられよう。これが兵の精髄である。存亡と死生は、このことを知るかどうかにかかっているだけである。
解説
この段は、敵に生きる道ではなく死を与えれば、敵は逃げることを選んで刃を交えず、結果として味方が生き残るという兵の理を説きます。士を愛して兵の死力を尽くさせれば、敵はこちらとの戦いに利を見いだせずに退く、という愛士篇全体の主題の帰結です。生死の主導権をどちらが握るかが要点とされます。相手に不利を悟らせて、戦わずに退かせるというこの発想は、正面からの衝突を避けつつ優位を確立する、現代の抑止や競争戦略の考え方にも通じる鋭い洞察です。
この章句が説くこと
敵死生存亡刃抑止愛士
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