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廟堂忠告 / 分謗第七

夫共署聯事,一人努力而前,則餘者皆當輔相以成其志。苟彼前我卻,彼行我止,動焉而不相隨,語焉而不相應,則事功之成者,能幾?此古人所以有推車同舟之喻也。其或共舟以濟,而一人溺焉,則凡在舟者,無論疏戚,所宜并力以救之,此賢不肖之所共知也。况同為臣子,同受天下國家之寄者,可坐視一人被禍而不恤哉?使其為一巳之私,自貽伊戚,固無足恤。其或知無不言,言無不盡,公家之務,一以大公至正處之,彼非為巳為家而得罪,則凡同官者,安淂不挺身而前,与之共難也哉?大拞一人不幸而得罪,為長者若曰「此我之罪」,為貳者亦曰「此我之罪」,使闔堂之人皆爭引為己罪,則彼獲罪者,雖不能釋,亦必不至於重論矣。古之敢於諫爭者,其遇不見聽納,至謂「與其殺此人,不若殺臣」,尚為如此求解,其肯坐視同官冤抑而不省哉?嗚呼,使分謗引咎之事,為宰相者誠能力行於今,將見士大夫之名節愈厲,民間之薄俗可敦,而國家他日亦不患其無仗義死節之士矣。一事之行,所繫如此,孰謂任怨分謗為宰相細行哉?

新字:夫共署聯事,一人努力而前,則余者皆当輔相以成其志。苟彼前我卻,彼行我止,動焉而不相随,語焉而不相応,則事功之成者,能幾?此古人所以有推車同舟之喻也。其或共舟以済,而一人溺焉,則凡在舟者,無論疏戚,所宜并力以救之,此賢不肖之所共知也。况同為臣子,同受天下国家之寄者,可坐視一人被禍而不恤哉?使其為一巳之私,自貽伊戚,固無足恤。其或知無不言,言無不尽,公家之務,一以大公至正処之,彼非為巳為家而得罪,則凡同官者,安淂不挺身而前,与之共難也哉?大拞一人不幸而得罪,為長者若曰「此我之罪」,為貳者亦曰「此我之罪」,使闔堂之人皆争引為己罪,則彼獲罪者,雖不能釈,亦必不至於重論矣。古之敢於諫争者,其遇不見聴納,至謂「与其殺此人,不若殺臣」,尚為如此求解,其肯坐視同官冤抑而不省哉?嗚呼,使分謗引咎之事,為宰相者誠能力行於今,将見士大夫之名節愈厲,民間之薄俗可敦,而国家他日亦不患其無仗義死節之士矣。一事之行,所繫如此,孰謂任怨分謗為宰相細行哉?

書き下し

夫れ共に署して事を聯(つら)ぬるに、一人努力して前まば、則ち餘の者は皆當に輔相して以て其の志を成すべし。苟くも彼前まば我卻き、彼行けば我止まり、動くに焉ぞ相隨わず、語るに焉ぞ相應ぜざれば、則ち事功の成る者、能く幾何ぞや。此れ古人推車同舟の喻え有る所以なり。其れ或いは舟を共にして以て濟るに、一人溺るれば、則ち凡そ舟に在る者、疏戚を論ぜず、宜しく力を并せて以て之を救うべし。此れ賢不肖の共に知る所なり。况んや同じく臣子為り、同じく天下國家の寄を受くる者、坐して一人の禍を被るを視て恤えざるべけんや。其れ一巳の私の為にして自ら伊(こ)の戚(うれい)を貽(のこ)すが如きは、固より恤うるに足らず。其れ或いは知りて言わざる無く、言いて盡さざる無く、公家の務め、一に大公至正を以て之に處すれば、彼、巳の為家の為にして罪を得るに非ず。則ち凡そ同官なる者、安んぞ身を挺んでて前み、之と難を共にせざるを淂んや。大拞一人不幸にして罪を得れば、長為る者は若しくは曰わん、「此れ我が罪なり」と。貳為る者も亦曰わん、「此れ我が罪なり」と。闔堂の人をして皆爭いて引きて己の罪と為さしめば、則ち彼の罪を獲る者、釋す能わずと雖も、亦必ずしも重論に至らず。古の敢えて諫爭する者は、其の遇のいまだ聽納せられざるに、「此の人を殺すよりは臣を殺すに若かず」と謂うに至る。尚お是くの如く解を求むるを為すに、其れ肯えて同官の冤抑を坐視して省みざらんや。嗚呼、謗を分ち咎を引く事、宰相為る者誠に能く今に力行せば、將に士大夫の名節愈々厲まし、民間の薄俗敦くすべきを見んとし、而して國家他日も亦其の仗義死節の士無きを患えざらん。一事の行、繫る所是くの如し、孰か任怨分謗を宰相の細行と謂わんや。

現代語訳

共同で職務にあたり、一人が努力して前に進むならば、残りの者もみな協力してその志を成し遂げるべきである。もし相手が前進するのに自分は後退し、相手が動くのに自分は止まり、行動が伴わず、言葉が呼応しなければ、事業が成し遂げられることなどほとんどない。これが昔の人が「車を推す」「舟を同じくする」という比喩を用いた理由である。舟に同乗して渡る際に一人が溺れれば、舟にいる者は皆、親疎に関わらず力を合わせて救うべきである。これは賢者も愚者も等しく知るところだ。まして同じく臣下として天下国家の重責を担う者同士が、一人が禍にあうのを座視して構わないでいられようか。もしその者が私利私欲のために自ら災いを招いたのであれば、それは同情に値しない。しかし、知っていることは全て言い、言うべきことを尽くし、公務を大公至正の精神で処理した結果罪を得たのであれば、それは私利私欲のためではない。ならば同僚たる者は、身を挺して進み出て、共に困難を分かち合うべきではないか。総じて一人が不幸にも罪を得たとき、上役が「これは私の罪だ」と言い、次席の者もまた「これは私の罪だ」と言い、その場に居合わせた全員が争って自分の罪だと引き受けるならば、罪を得た者は許されずとも、重罪に至ることはないだろう。昔、あえて諫言した者は、聞き入れられない境遇にあっても「この人を殺すくらいなら私を殺してほしい」とまで言った。これほどまでに解決を求めたのだから、同僚が理不尽に苦しむのを座視して見過ごすことなどできようか。ああ、非難を分かち合い咎を引き受けることを、宰相たる者が今の世に実行できれば、士大夫の名節はますます磨かれ、民間の薄い風俗も厚くなり、国家も後々義に厚く節に殉じる人材の不足を憂えずに済むだろう。一事の実行がこれほど重大な意味を持つ。誰が「怨みを引き受け非難を分かち合う」ことを宰相の些細な行いだと言えようか。

解説

本条は、同僚や部下が困難や非難に直面したとき、上に立つ者が「これは自分の罪だ」と進んで引き受けることの重要性を説く。同じ船に乗る者は互いに助け合うべきという比喩を用い、私心からの失敗は擁護に値しないが、公正に職務を尽くした結果の失敗は組織全体で分かち合うべきだと峻別している点が鋭い。現代の組織においても、部下の失敗の責任を上司が一身に引き受ける姿勢は、部下の忠誠と組織全体の士気を高める。逆に責任を部下に押し付けるリーダーの下では、誰も本気で困難な仕事に挑まなくなる。トップが盾となることこそ、真に人材を活かす条件だという教えである。

この章句が説くこと

分謗連帯責任同僚組織の信頼

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