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呂氏春秋 / 壅塞⑤

齊宣王好射,說人之謂己能用彊弓也。其嘗所用不過三石,以示左右。左右皆試引之,中關而止,皆曰:「此不下九石,非王,其孰能用是?」宣王之情,所用不過三石,而終身自以為用九石,豈不悲哉?非直士其孰能不阿主?世之直士,其寡不勝眾,數也。故亂國之主,患存乎用三石為九石也。

新字:斉宣王好射,説人之謂己能用彊弓也。其嘗所用不過三石,以示左右。左右皆試引之,中関而止,皆曰:「此不下九石,非王,其孰能用是?」宣王之情,所用不過三石,而終身自以為用九石,豈不悲哉?非直士其孰能不阿主?世之直士,其寡不勝眾,数也。故乱国之主,患存乎用三石為九石也。

書き下し

齊の宣王、射を好む。人の己能く彊弓を用うと謂うを説ぶ。其の嘗て用うる所は三石に過ぎず、以て左右に示す。左右皆試みに之を引き、關を中にして止む。皆曰く、「此れ九石を下らず。王に非ずして、其れ孰か能く是を用いん。」宣王の情、用うる所、三石に過ぎずして、終身自ら以て九石を用うると為す。豈に悲しからずや。直士非ずんば、其れ孰か能く主に阿らざらん。世の直士、其の寡、衆に勝たざるは、數なり。故に亂國の主、患いは三石を用いて九石と為すに存するなり。

現代語訳

斉の宣王は弓射を好み、人が自分を強い弓を引けると評するのを喜んだ。彼が実際に用いる弓は三石の強さを超えなかったが、それを側近に示した。側近たちは皆試しにこれを引き、弓を半ばまで引いてやめて、皆言った。「これは九石を下りません。王でなければ、いったい誰がこれを引けましょう。」宣王の実情は、用いる弓は三石を超えなかったのに、生涯自分では九石の弓を用いていると思い込んでいた。何と悲しいことではないか。率直な士でなければ、いったい誰が君主にへつらわずにいられよう。世の率直な士は、その少数が多数に勝てないのが道理の常である。だから乱国の君主の弊害は、三石を九石とすること、つまり世辞を真に受けることにあるのだ。

解説

斉の宣王は弓を好み、実際は三石程度の弓しか引けないのに、側近が九石だと世辞を言い、生涯それを信じ込みました。呂氏春秋はこれを悲しいと評します。率直な士は少なく、多数の追従者に勝てないのが常で、乱国の君主の弊害は、まさに三石を九石と思い込む点にあると説きます。壅塞篇の結びとして、世辞に取り巻かれ真実の自己像を見失う危うさを鋭く突いています。現代でも、地位が上がるほど周囲は本当のことを言わなくなり、実力を過信しがちです。誇張された称賛を割り引き、率直な評価を求める自覚が欠かせないと教えてくれます。

この章句が説くこと

斉の宣王三石九石阿諛直士壅塞過信

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