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韓非子 / 南面第十八

如是者謂之壅於言,壅於言者制於臣矣。主道者,使人臣必有言之責,又有不言之責。言無端末辯無所驗者,此言之責也;以不言避責持重位者,此不言之責也。

新字:如是者謂之壅於言,壅於言者制於臣矣。主道者,使人臣必有言之責,又有不言之責。言無端末弁無所験者,此言之責也;以不言避責持重位者,此不言之責也。

書き下し

是くの如き者は之を言に壅がると謂い、言に壅がるる者は臣に制せらる。主道は、人臣をして、必ず言うの責有り、又た言わざるの責有らしむ。言に端末無く弁に験す所無き者は、此れ言うの責なり。言わざるを以て責を避け重位を持する者は、此れ言わざるの責なり。

現代語訳

君主の道は、臣下に必ず言ったことに対する責任を取らせ、言わなければならないときに何も言わなかったことに対しても責任を取らせる。進言も沈黙も共に責任を伴うものである。

解説

臣下には「言ったことへの責任」だけでなく「言うべきときに黙っていたことへの責任」もある、という厳しい教えです。話の筋道が通らず後で確かめようもないことを言うのも罪ですが、危ういと分かっていながら自分の立場を守るために黙り込むのも同じく罪だとされます。これは会議の場に限りません。家族の集まりで誰かの体調の異変に気づいていながら「余計なことは言うまい」と黙っていたり、近所で困っている人がいると知りながら見て見ぬふりをしたりするのも、この「言わざるの責」にあたります。気づいたことを口にする勇気を持つと同時に、口にしたからには裏付けを持って話す誠実さも忘れないという、両方向の責任感が大切だと教えてくれます。

この章句が説くこと

アカウンタビリティ傍観者効果発言責任沈黙の責任当事者意識

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