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塩鉄論 / 周秦篇

御史曰:「夫負千鈞之重、以登無極之高、垂峻崖之峭谷、下臨不測之淵、雖有慶忌之捷、賁、育之勇、莫不震懾悼栗者、知墜則身首肝腦塗山石也。故未嘗灼而不敢握火者、見其有灼也。未嘗傷而不敢握刃者、見其有傷也。彼以知為非、罪之必加、而戮及父兄、必懼而為善。故立法制辟、若臨百仞之壑、握火蹈刃、則民畏忌、而無敢犯禁矣。慈母有敗子、小不忍也。嚴家無悍虜、篤責急也。今不立嚴家之所以制下、而修慈母之所以敗子、則惑矣。」

新字:御史曰:「夫負千鈞之重、以登無極之高、垂峻崖之峭谷、下臨不測之淵、雖有慶忌之捷、賁、育之勇、莫不震懾悼栗者、知墜則身首肝脳塗山石也。故未嘗灼而不敢握火者、見其有灼也。未嘗傷而不敢握刃者、見其有傷也。彼以知為非、罪之必加、而戮及父兄、必懼而為善。故立法制辟、若臨百仞之壑、握火蹈刃、則民畏忌、而無敢犯禁矣。慈母有敗子、小不忍也。厳家無悍虜、篤責急也。今不立厳家之所以制下、而修慈母之所以敗子、則惑矣。」

書き下し

御史曰く、夫れ千鈞の重きを負いて、以て無極の高きに登り、峻崖の峭谷に垂れ、下は不測の淵に臨まば、慶忌の捷、賁・育の勇有りと雖も、震懾悼栗せざるは莫し。墜つれば則ち身首肝腦は山石に塗るるを知ればなり。故に未だ嘗て灼かれずして敢えて火を握らざるは、其の灼く有るを見ればなり。未だ嘗て傷つかずして敢えて刃を握らざるは、其の傷つく有るを見ればなり。彼れ非を為すを以て、罪の必ず加わり、而して戮の父兄に及ぶを知らば、必ず懼れて善を為さん。故に法を立て辟を制すること、百仞の壑に臨み、火を握り刃を蹈むが若くんば、則ち民は畏忌して、敢えて禁を犯す無からん。慈母に敗子有るは、小しく忍びざればなり。嚴家に悍虜無きは、責むること篤く急なればなり。今、嚴家の下を制する所以を立てずして、慈母の子を敗る所以を修むるは、則ち惑えるなり。

現代語訳

御史が言った。「千鈞の重さを負って果てしない高みに登り、切り立った崖の谷に身を垂らし、下には底知れぬ淵が臨んでいるなら、慶忌の素早さ、孟賁や夏育の勇があっても、震え上がらない者はない。落ちれば身も首も肝も脳も山の岩に塗られると知っているからだ。焼かれたことがなくてもあえて火を握らないのは、それが焼くのを見ているからだ。傷ついたことがなくてもあえて刃を握らないのは、それが傷つけるのを見ているからだ。彼らが非を犯せば罪が必ず加えられ、しかも処刑が父や兄にまで及ぶと知れば、必ず恐れて善を行うだろう。だから法を立て刑を定めることが、百仞の谷に臨み、火を握り刃を踏むようであれば、民は畏れ憚って、あえて禁を犯すことはない。慈しみ深い母にできそこないの子があるのは、少しのことも我慢させないからだ。厳しい家に手に負えない下僕がいないのは、責めることが篤く急だからだ。いま厳しい家が下の者を制する仕組みを立てず、慈しみ深い母が子をだめにする仕組みのほうを整えるのは、迷いというものだ」

解説

文学が連座の非を説いたのに対し、御史が恐れの効き目を組み立てた段です。千鈞を背負って崖に垂れれば、どんな勇者でも震える。落ちれば砕けると知っているからだ、と。**焼かれたことがなくても火を握らないのは、それが焼くのを見ているからだ。**罰が父兄にまで及ぶと知れば必ず善を行う、と連座も抑止として位置づけます。締めは家の対比でした。慈しみ深い母にできそこないの子があり、厳しい家に手に負えない下僕はいない、と。

この章句が説くこと

未だ嘗て灼かれずして敢えて火を握らざるは其の灼く有るを見ればなり慈母に敗子有り厳家に悍虜無し罪の必ず加わり戮の父兄に及ぶを知らば必ず懼れて善を為さん抑止厳格寛容

この一句を、あなたの毎日に。

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