塩鉄論 / 申韓篇
御史曰:「衣缺不補、則日以甚、防漏不塞、則日益滋。大河之始決於瓠子也、涓涓爾、及其卒、泛濫為中國害、菑梁、楚、破曹、衛、城郭壞沮、蓄積漂流、百姓木棲、千里無廬、令孤寡無所依、老弱無所歸。故先帝閔悼其菑、親省河堤、舉禹之功、河流以復、曹、衛以寧。百姓戴其功、詠其德、歌『宣房塞、萬福來』焉、亦猶是也、如何勿小補哉!」
新字:御史曰:「衣欠不補、則日以甚、防漏不塞、則日益滋。大河之始決於瓠子也、涓涓爾、及其卒、泛濫為中国害、菑梁、楚、破曹、衛、城郭壊沮、蓄積漂流、百姓木棲、千里無廬、令孤寡無所依、老弱無所帰。故先帝閔悼其菑、親省河堤、舉禹之功、河流以復、曹、衛以寧。百姓戴其功、詠其徳、歌『宣房塞、万福来』焉、亦猶是也、如何勿小補哉!」
書き下し
御史曰く、衣缺けて補わずんば、則ち日々に以て甚だし。防漏れて塞がずんば、則ち日々に益々滋し。大河の始めて瓠子に決するや、涓涓爾たり。其の卒わりに及び、泛濫して中國の害と為る。梁・楚を菑し、曹・衛を破り、城郭は壞沮し、蓄積は漂流す。百姓は木に棲み、千里に廬無し。孤寡をして依る所無からしめ、老弱をして歸る所無からしむ。故に先帝は其の菑を閔悼し、親ら河堤を省し、禹の功を舉ぐ。河流以て復し、曹・衛以て寧し。百姓は其の功を戴き、其の德を詠じ、「宣房塞がりて、萬福來る」と歌う。亦た猶お是のごときなり。如何ぞ小補する勿からんや。
現代語訳
御史が言った。「衣が欠けても繕わなければ、日ごとにひどくなる。堤が漏れても塞がなければ、日ごとにますますひどくなる。大河がはじめて瓠子で決壊したときは、ちょろちょろとした流れだった。その終わりには氾濫して中国の害となり、梁と楚を災いし、曹と衛を破り、城郭は崩れ、蓄えは流された。民は木の上に棲み、千里にわたって住まいが無い。みなしごや寡婦は寄る辺を失い、老人や弱い者は帰る場所を失った。だから先帝はその災いを悼み、自ら河の堤を検分され、禹の功を挙げられた。河の流れはもとに戻り、曹と衛は安んじた。民はその功をいただき、その徳を詠って『宣房が塞がって、万の福が来た』と歌ったのだ。これと同じことである。どうして小さな繕いをせずにいられようか」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『塩鉄論』申韓篇文學曰く、河の決すること甕口の若くにして、千里を破る。況んや禮の決するをや。其の害する所も亦た多し。今、獄を斷ずること歲に萬を以て計え、法を犯すこと茲々多し。其の菑と為ること、豈に特だ曹・衛のみならんや。夫れ宣房を塞ぎて福の來るを知りて、亂の原を塞ぎて天下の治まるを知らざるなり。周は國に之を用い、刑錯きて用いず。黎民は若く、四時は各々其の序を終え、而して天下は孤ならず。頌に曰く、「我を綏んずるに眉壽を以てし、介くるに繁祉を以てす」と。此れ福と為ること、亦た小ならざるなり。誠に禮義を信ずること宣房の如くんば、功業已に立ち、垂拱して無為ならん。有司何をか補い、法令何をか塞がん。
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史記 河渠書天子既に封禅して山川を巡祭し、其の明年、旱し、封を乾かして雨少なし。天子乃ち汲仁・郭昌をして卒数万人を発して瓠子の決を塞がしむ。是に於て天子已に万里沙に事を用ひ、則ち還りて自ら決河に臨み、白馬・玉璧を河に沈め、群臣・従官をして将軍より已下皆薪を負ひて決河を窴がしむ。是の時東郡草を焼き、故を以て薪柴少なし。而して淇園の竹を下して以て楗と為す。天子既に河決に臨み、功の成らざるを悼み、乃ち歌を作りて曰く、「瓠子決す、将た柰何せん。皓皓旰旰として、閭殫く河と為る。殫く河と為りて地寧きを得ず、功已む時無くして吾山平らかなり。吾山平らかにして鉅野溢れ、魚沸郁して冬日に柏る。延道弛みて常流を離れ、蛟龍騁せて方に遠遊す。旧川に帰さば神なるかな沛たり、封禅せずんば安んぞ外を知らん。我が為に河伯に謂へ、何ぞ不仁なる、泛濫止まずして吾が人を愁へしむと。齧桑浮かびて淮・泗満ち、久しく反らずして水維れ緩し」と。一に曰く、「河湯湯として激して潺湲たり、北に渡りて汚る、浚流難し。長茭を搴りて美玉を沈む、河伯許すも薪属かず。薪属かざるは衛人の罪、焼きて蕭条たり、噫乎何を以てか水を御がん。林竹を穨して石菑を楗し、宣房塞がりて万福来る」と。是に於て卒に瓠子を塞ぎ、宮を其の上に築き、名づけて宣房宮と曰ふ。而して河を道きて北に二渠を行らし、禹の旧跡に復し、而して梁・楚の地復た寧く、水災無し。是より後、事を用ふる者争ひて水利を言ふ。朔方・西河・河西・酒泉は皆河及び川谷を引きて以て田に溉ぎ、而して関中の輔渠・霊軹は堵水を引き、汝南・九江は淮を引き、東海は鉅定を引き、泰山の下は汶水を引く。皆渠を穿ちて溉田と為すこと、各々万余頃。佗の小渠の山を披き道を通ずる者は、勝げて言ふ可からず。然れども其の著しき者は宣房に在り。
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『塩鉄論』申韓篇御史曰く、周公を待ちて相と為さば、則ち世に列國無からん。孔子を待ちて後に學ばば、則ち世に儒・墨無からん。夫れ衣小しく缺け、襟裂くるも補う可し。而るに必ず全匹を待ちて之に易う。政小しく缺くるも、法令もて防ぐ可し。而るに必ず雅・頌を待ちて乃ち之を治む。是れ猶お鄰の醫を舍てて、俞跗を求めて而る後に病を治め、汙池の水を廢して、江・海を待ちて而る後に火を救うがごときなり。迂にして徑ならず、闕けて務む無し。是を以て教令從われずして治は煩亂す。夫れ善く政を為す者は、弊るれば則ち之を補い、決すれば則ち之を塞ぐ。故に吳子は法を以て楚を治め、魏・申・商は法を以て秦・韓を強くす。
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『塩鉄論』擊之篇大夫曰く、昔、夏后は洪水の災いを底め、百姓孔だ勤め、籠臿に罷る、其の後に至るに及びて、咸な其の功を享く。先帝の時、郡國は頗る戎事に煩わさる、然れども亦た三陲の役を寬くせり。語に曰く、『機を見て遂げざる者は功を隕とす』と。一日敵を違えば、累世の患いと為る。勞を休めて供を用い、弊に因りて時に乘ず。帝王の道は、聖賢の失う能わざる所なり。功業に緒有るに、勞を惡みて卒えざるは、猶お耕す者の倦み休みて困り止むがごときなり。夫れ事を輟むる者は功無く、耕すに怠る者は獲る無きなり。
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呂氏春秋・愼小②巨防、螻を容るれば、而ち邑を漂よわし人を殺す。突、一熛を洩らせば、而ち宮を焚き積を燒く。將、一令を失えば、而ち軍破れ身死す。主、一言を過てば、而ち國殘われ名辱められ、後世の笑いと為る。
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『塩鉄論』力耕篇文學曰く、洪水滔天して、而して禹の績有り、河水泛濫して、而して宣房の功有り。商紂暴虐にして、而して孟津の謀有り、天下煩擾して、而して乘羨の富有り。夫れ上古の至治は、民樸にして本を貴び、安愉にして求むること寡し。此の時に當たりては、道路に行くこと罕に、市朝に草生ず。故に耕して強めざる者は以て虛を充たす無く、織りて強めざる者は以て形を掩う無し。湊會の要、陶・宛の術有りと雖も、其の巧を施す所無し。古より今に及ぶまで、施さずして報を得、勞せずして功有る者は、未だ之れ有らざるなり。

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