師導古典を学びたいすべての人に

牧民忠告 / 慎獄

獄庭時當一至也,不惟有以安眾囚之心,亦使司獄卒吏輩知所警畏,而無飲博喧嘩、逸而反獄者,是亦先事防之之微意也。倉庫同。

新字:獄庭時当一至也,不惟有以安眾囚之心,亦使司獄卒吏輩知所警畏,而無飲博喧嘩、逸而反獄者,是亦先事防之之微意也。倉庫同。

書き下し

獄庭(ごくてい)は時に當に一たび至るべきなり、惟(た)だ以て眾囚(しゅうしゅう)の心を安んずる有るのみならず、亦た司獄(しごく)卒吏(そつり)輩(はい)をして警畏(けいい)する所を知らしめ、飲博(いんはく)喧嘩(けんか)、逸して獄に反(そむ)く者無からしむ、是れ亦た事に先んじて之を防ぐの微意(びい)なり。倉庫も同じ。

現代語訳

獄の庭には時折自ら足を運ぶべきである。それは多くの囚人たちの心を安んじるだけでなく、獄を管理する役人や下役たちにも警戒し畏れるべきことを知らしめ、酒盛りや賭博、喧嘩をしたり、気を緩めて獄の規律を破ったりする者がないようにするためである。これもまた事が起きる前に防ぐという細やかな配慮である。倉庫についても同様である。

解説

「按視」は、監督者自らが定期的に現場を巡視することの効果を説く短い一条である。張養浩は、獄庭への視察が囚人の心を安んじるだけでなく、現場の管理者や下役たちへの牽制にもなり、規律の緩みを未然に防ぐと指摘し、倉庫の管理にも同じ原理が当てはまるとする。監督者が実際に姿を見せること自体が、現場の緊張感を保つ最も簡便で効果的な手段であるという洞察は、現代のマネジメントにも通じる。書類上の報告だけに頼らず、責任者が定期的に現場に足を運ぶことは、不正や事故の予防において最も基本的でありながら見落とされがちな施策である。

この章句が説くこと

按視現場巡視未然防止監督

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる