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帝範 / 後序

古人有云,非知之難,惟行之不易;行之可勉,惟終實難。是以暴亂之君,非獨明於惡路;聖哲之主,非獨見於善途。良由大道逺而難遵,邪徑近而易踐。小人俯從其易,不得力行其難,故禍敗及之;君子勞處其難,不能力居其易,故福慶流之。

新字:古人有云,非知之難,惟行之不易;行之可勉,惟終実難。是以暴乱之君,非独明於悪路;聖哲之主,非独見於善途。良由大道遠而難遵,邪径近而易践。小人俯従其易,不得力行其難,故禍敗及之;君子労処其難,不能力居其易,故福慶流之。

書き下し

古人(こじん)云(い)ふこと有(あ)り、知(し)るの難(かた)きに非(あら)ず、惟(た)だ行(おこな)ふの易(やす)からず、行(おこな)ふは勉(つと)む可(べ)きも、惟(た)だ終(を)ふること實(まこと)に難(かた)しと。是(ここ)を以(も)って暴亂(ぼうらん)の君(きみ)は、獨(ひと)り惡路(あくろ)に明(あき)らかなるに非(あら)ず、聖哲(せいてつ)の主(しゅ)は、獨(ひと)り善途(ぜんと)を見(み)るに非(あら)ず。良(まこと)に大道(だいどう)は遠(とほ)くして遵(したが)ひ難(がた)く、邪徑(じゃけい)は近(ちか)くして踐(ふ)み易(やす)きに由(よ)る。小人(しょうじん)は俯(ふ)して其(そ)の易(やす)きに從(したが)ひ、力(つと)めて其(そ)の難(かた)きを行(おこな)ふを得(え)ず、故(ゆゑ)に禍敗(かはい)之(これ)に及(およ)ぶ。君子(くんし)は勞(ろう)して其(そ)の難(かた)きに處(を)り、力(つと)めて其(そ)の易(やす)きに居(を)る能(あた)はず、故(ゆゑ)に福慶(ふくけい)之(これ)に流(なが)る。

現代語訳

昔の人はこう言った。知ることが難しいのではない、ただ行うことが易しくないのだ。行うことは努力できるが、ただ終わりまで貫くことこそまことに難しい、と。だから、暴虐で乱れた君主が悪しき道ばかりに明るいわけではなく、聖なる賢明な主が善き道ばかりを見ているわけでもない。まことに、大いなる道は遠くて従いがたく、よこしまな近道は近くて踏みやすいからである。小人はうつむいてその易しい方に従い、努めて難しい方を行うことができない。だから禍と失敗が及ぶ。君子は苦労して難しい方に身を置き、努めて易しい方に居ることができない。だから福と慶びが流れてくる。

解説

後序の中心命題がここに置かれる。「知るの難きに非ず、惟だ行ふの易からず」は『尚書』説命篇の「知るは難きに非ず、行ふは惟れ難し」を踏まえるが、太宗はそこにもう一段を足す。「行ふは勉む可きも、惟だ終ふること實に難し」——行うことは努力でどうにかなる。難しいのは終えることだ。序の末尾にあった「善く始めて終りを令くせん」が、ここで正面から主題になる。続く分析も冷静である。暴君が悪い道を知っていて選んだのではない。聖君が善い道だけを見ていたのでもない。差は知識ではなく、遠くて従いにくい道と、近くて踏みやすい道の、どちらに身を置き続けたかだった。「君子は勞して其の難きに處り、力めて其の易きに居る能はず」——君子は易しいほうに居ることが「できない」と書かれている。意志で選ぶというより、そういう習慣になっているという言い方である。

この章句が説くこと

行の難終ふること実に難し大道と邪径習慣

この一句を、あなたの毎日に。

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