帝範 / 崇文第十二
至若長氣亘地,成敗定乎鋒端;巨浪滔天,興亡决乎一陣。當此之際,則貴干戈而賤庠序。及乎海嶽既晏,波塵已清,偃七徳之餘威,敷九功之大化。當此之際,則輕甲胄而重詩書。是知文武二途,捨一不可,與時優劣,各有其宜。武士儒人,焉可廢也。
新字:至若長気亘地,成敗定乎鋒端;巨浪滔天,興亡決乎一陣。当此之際,則貴干戈而賤庠序。及乎海嶽既晏,波塵已清,偃七徳之余威,敷九功之大化。当此之際,則軽甲胄而重詩書。是知文武二途,捨一不可,与時優劣,各有其宜。武士儒人,焉可廃也。
書き下し
至若(いた)りては長氣(ちょうき)地(ち)に亘(わた)り、成敗(せいはい)は鋒端(ほうたん)に定(さだ)まり、巨浪(きょろう)天(てん)に滔(みなぎ)り、興亡(こうぼう)は一陣(いちじん)に决(き)す。此(こ)の際(さい)に當(あた)りては、則(すなは)ち干戈(かんか)を貴(たっと)びて庠序(しょうじょ)を賤(いや)しむ。海嶽(かいがく)既(すで)に晏(やす)らかに、波塵(はじん)已(すで)に清(きよ)きに及(およ)びては、七徳(しちとく)の餘威(よい)を偃(ふ)せ、九功(きゅうこう)の大化(たいか)を敷(し)く。此(こ)の際(さい)に當(あた)りては、則(すなは)ち甲胄(かっちゅう)を輕(かろ)んじて詩書(ししょ)を重(おも)んず。是(ここ)に知(し)る、文武(ぶんぶ)の二途(にと)、一(いつ)を捨(す)つ可(べ)からず、時(とき)と優劣(ゆうれつ)し、各(おのおの)其(そ)の宜(よろ)しき有(あ)ることを。武士(ぶし)儒人(じゅじん)、焉(いづく)んぞ廢(はい)す可(べ)けんや。
現代語訳
長い戦気が地に満ち、勝敗が刃の先で決まり、巨浪が天にみなぎり、興亡が一度の合戦で決する。こういう時に当たっては、武器を貴んで学校を軽んじる。海も山も静まり、戦塵がすっかり清まったときには、七つの徳をそなえた武の余威を伏せ、九つの功による大いなる教化を敷く。こういう時に当たっては、甲冑を軽んじて詩書を重んじる。ここから分かる。文と武の二つの道は、どちらか一方を捨てることができず、時によって優劣が入れ替わり、それぞれに適した場面がある、と。武人も儒者も、どうして廃することができようか。
解説
十二篇の本論を締めくくる一章である。ここで太宗が言っているのは、文武両道という並列の徳目ではない。「時と優劣し」——時によって優劣が入れ替わる、という動的な話だ。戦局では武が上、平定後は文が上。順位は固定されず、局面が決める。だから「一を捨つ可からず」。いま下位に置かれているほうを手放すと、局面が変わったときに立て直せなくなる。組織が拡大期と成熟期で必要な人材を入れ替えるとき、この一章は正確に効く。攻めの時期に守りの人を、守りの時期に攻めの人を捨ててしまえば、次の局面で誰も残っていない。「武士儒人、焉んぞ廢す可けんや」——いまの局面で目立たない側の人を、どう遇するかという問いである。
この章句が説くこと
文武二途時と優劣す干戈と庠序局面の転換
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『淮南子』氾論訓秦の時、高く臺榭を爲り、大いに苑囿を爲り、遠く馳道を爲り、金人を鑄、適戍を發し、芻稿を入れ、頭會箕賦して、少府に輸す。丁壯丈夫、西は臨洮・狄道に至り、東は會稽・浮石に至り、南は豫章・桂林に至り、北は飛狐・陽原に至る。道路の死人 溝を以て量る。此の時に當たりて、忠諫する者を之を不祥と謂い、仁義を道う者を之を狂と謂う。高皇帝に逮び至りて、亡を存し絕を繼ぎ、天下の大義を舉げ、身自ら袂を奮い銳を執り、以て百姓の爲に命を皇天に請う。此の時に當たりて、天下の雄俊豪英 野澤に暴露し、前には矢石を蒙り、而して後には谿壑に墮つ。百死を出でて一生を紿け、以て天下の權を爭い、武を奮い誠を厲まして、以て一旦の命を決す。此の時に當たりて、豐衣博帶して儒墨を道う者は、以て不肖と爲す。暴亂 已に勝ち、海內 大いに定まるに逮び至りて、文の業を繼ぎ、武の功を立て、天子の圖籍を履み、劉氏の貌冠を造り、鄒・魯の儒墨を總べ、先聖の遺教に通じ、天子の旗を戴き、大路に乘り、九斿を建て、大鐘を撞き、鳴鼓を擊ち、咸池を奏し、干戚を揚ぐ。此の時に當たりて、武を立つる者有れば疑わる。一世の間にして、文武 代わる代わる雌雄を爲す。時有りて用うるなり。
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『君子訓』巻之上一世を治むるに大道二あり、文と武となり。文は徳を専らとし、武は威を専らとす。威と徳と二ながら備りて治道なれり。徳なければ人なつかず、威なければ人恐れず。文武の徳なくして、人なつかず、人恐れざれば、怨み、背き、侮り、をかして、世治まらず。仁にして人を愛するは文徳なり。義ありて人を正しくするは武徳なり。もし古事を覚え、詩歌を作るを以て文とし、騎射を習ひ、剣戟をふるを以て武とするは、甚小にして末なり。人の上たる人の学問は、詩を作り文を書き、大和もろこしの故事来歴を多く覚え知る事にはあらず。ただ古聖賢の教をうけて、身を修め人を治むる道を知る、是則君子の学なり。先大学を以て道に入るの門とす。次に論語孟子尚書及大学衍義を考へ知り給ふべし、是身を修め人を治むるに益あり。
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