帝範 / 崇倹第八
故風淳俗朴,比屋可封。斯二者,榮辱之端。奢儉由人,安危在己。五闗近閉,則嘉命逺盈;千慾内攻,則㐫源外發。是以丹桂抱蠧,終摧榮耀之芳;朱火含煙,遂鬱凌雲之焰。以是知驕出於志,不節則志傾;慾生於心,不遏則身䘮。故桀紂肆情而禍結,堯舜約己而福延,可不務乎?
新字:故風淳俗朴,比屋可封。斯二者,栄辱之端。奢倹由人,安危在己。五関近閉,則嘉命遠盈;千慾内攻,則凶源外発。是以丹桂抱蠹,終摧栄耀之芳;朱火含煙,遂鬱凌雲之焰。以是知驕出於志,不節則志傾;慾生於心,不遏則身喪。故桀紂肆情而禍結,堯舜約己而福延,可不務乎?
書き下し
故(ゆゑ)に風(ふう)淳(あつ)く俗(ぞく)朴(ぼく)にして、比屋(ひおく)封(ほう)ず可(べ)し。斯(こ)の二者(にしゃ)は、榮辱(えいじょく)の端(たん)なり。奢儉(しゃけん)は人(ひと)に由(よ)り、安危(あんき)は己(おのれ)に在(あ)り。五闗(ごかん)近(ちか)く閉(と)づれば、則(すなは)ち嘉命(かめい)遠(とほ)く盈(み)ち、千慾(せんよく)内(うち)に攻(せ)むれば、則(すなは)ち㐫源(きょうげん)外(そと)に發(はっ)す。是(ここ)を以(も)って丹桂(たんけい)蠧(と)を抱(いだ)けば、終(つひ)に榮耀(えいよう)の芳(かをり)を摧(くだ)き、朱火(しゅか)煙(けむり)を含(ふく)めば、遂(つひ)に凌雲(りょううん)の焰(ほのほ)を鬱(ふさ)ぐ。是(これ)を以(も)って知(し)る、驕(おご)りは志(こころざし)より出(い)で、節(せっ)せざれば則(すなは)ち志(こころざし)傾(かたむ)き、慾(よく)は心(こころ)より生(しょう)じ、遏(とど)めざれば則(すなは)ち身(み)䘮(うしな)ふことを。故(ゆゑ)に桀紂(けつちゅう)は情(じょう)を肆(ほしいまま)にして禍(わざはひ)結(むす)び、堯舜(ぎょうしゅん)は己(おのれ)を約(やく)して福(ふく)延(の)ぶ。務(つと)めざる可(べ)けんや。
現代語訳
だから気風は篤く習俗は素朴になり、家々を軒並み表彰してよいほどになる。この二つ、すなわち奢りと倹しさが、栄辱の分かれ目である。奢るか倹しくするかは人によって決まり、安らかか危ういかは自分にかかっている。五つの感覚の関門を身近に閉じれば、よい命運が遠くまで満ち、千の欲が内から攻めれば、凶の源が外に現れる。だから、赤い桂の木が虫を抱えこめば、ついには輝かしい香りを砕かれ、赤い火が煙を含めば、ついには雲を凌ぐ焔をふさがれる。ここから分かる。驕りは志から出るもので、節しなければ志そのものが傾き、欲は心から生じるもので、止めなければ身を失う、と。だから桀と紂は情をほしいままにして禍を結び、堯と舜は自分を約して福を延ばした。努めずにおられようか。
解説
「奢儉は人に由り、安危は己に在り」——この一句が崇倹篇の結論である。奢るか倹しくするかは他人が決めるのではなく、安全かどうかも外の情勢ではなく自分にかかっている。責任の所在を完全に内側に置いた言い方だ。続く二つの比喩が印象的である。丹桂が虫を抱えれば香りが砕け、朱火が煙を含めば焔が上がらない。どちらも、外から壊されるのではなく、内側に抱えこんだものが本来の力を殺すという形をしている。そして原因は「驕りは志より出で」「慾は心より生じ」——志と心という、本来は良いものの側から生じるとされる。志の高さがそのまま驕りに変わり、心の働きがそのまま欲になる。だからこそ節し、遏めるという作業が要る。優秀な人ほど自分の志を疑わないという落とし穴を、この章は正面から指している。
この章句が説くこと
奢倹由人丹桂抱蠹驕は志より出づ桀紂と堯舜