帝範 / 去讒第六
砥躬礪行,莫尚於忠言;敗徳敗正,莫踰於䜛佞。今人顔貌同於目際,猶不自瞻,况是非在於無形,奚能自覩?何則飾其容者,皆解窺於眀鏡,修其徳者,不知訪於哲人。詎自庸愚,何迷之甚!良由逆耳之辭難受,順心之說易從。彼難受者,藥石之苦喉也;此易從者,鴆毒之甘口也!眀王納諫,病就苦而能消;暗主從諛,命因甘而致殞。可不誡哉!可不誡哉!
新字:砥躬礪行,莫尚於忠言;敗徳敗正,莫踰於讒佞。今人顔貌同於目際,猶不自瞻,況是非在於無形,奚能自睹?何則飾其容者,皆解窺於明鏡,修其徳者,不知訪於哲人。詎自庸愚,何迷之甚!良由逆耳之辞難受,順心之説易従。彼難受者,薬石之苦喉也;此易従者,鴆毒之甘口也!明王納諫,病就苦而能消;暗主従諛,命因甘而致殞。可不誡哉!可不誡哉!
書き下し
躬(み)を砥(と)ぎ行(おこな)ひを礪(みが)くは、忠言(ちゅうげん)より尚(たっと)きは莫(な)く、徳(とく)を敗(やぶ)り正(せい)を敗(やぶ)るは、䜛佞(ざんねい)より踰(こ)ゆるは莫(な)し。今(いま)人(ひと)の顔貌(がんぼう)は目(め)の際(きは)に同(おな)じきも、猶(な)ほ自(みづか)ら瞻(み)ず。况(いは)んや是非(ぜひ)の無形(むけい)に在(あ)るをや、奚(なん)ぞ能(よ)く自(みづか)ら覩(み)ん。何(なん)となれば則(すなは)ち其(そ)の容(かたち)を飾(かざ)る者(もの)は、皆(みな)眀鏡(めいきょう)を窺(うかが)ふを解(かい)するも、其(そ)の徳(とく)を修(をさ)むる者(もの)は、哲人(てつじん)に訪(と)ふを知(し)らず。詎(なん)ぞ自(みづか)ら庸愚(ようぐ)ならん、何(なん)ぞ迷(まよ)ふことの甚(はなは)だしき。良(まこと)に逆耳(ぎゃくじ)の辭(ことば)は受(う)け難(がた)く、順心(じゅんしん)の說(せつ)は從(したが)ひ易(やす)きに由(よ)る。彼(か)の受(う)け難(がた)き者(もの)は、藥石(やくせき)の喉(のど)に苦(にが)きなり。此(こ)の從(したが)ひ易(やす)き者(もの)は、鴆毒(ちんどく)の口(くち)に甘(あま)きなり。眀王(めいおう)諫(いさ)めを納(い)るれば、病(やまひ)は苦(にが)きに就(つ)きて能(よ)く消(き)え、暗主(あんしゅ)諛(ゆ)に從(したが)へば、命(いのち)は甘(あま)きに因(よ)りて殞(お)つるを致(いた)す。誡(いまし)めざる可(べ)けんや、誡(いまし)めざる可(べ)けんや。
現代語訳
身を砥ぎ行いを磨くには忠言に勝るものはなく、徳を損ない正しさを損なうには讒言とへつらいに勝るものはない。いまや人の顔かたちは目のすぐそばにあるのに、自分では見ることができない。まして是非は形がないのだから、どうして自分で見ることができようか。それはなぜか。姿かたちを飾る者はみな明鏡をのぞくことを知っているのに、徳を修める者は賢者に問うことを知らないからだ。自分から愚か者になるつもりなどあるまいに、どうしてこれほど迷うのか。まことに、耳に逆らう言葉は受け入れがたく、心に沿う言葉は従いやすいからである。あの受け入れがたいものは、薬が喉に苦いのと同じだ。この従いやすいものは、鴆毒が口に甘いのと同じだ。明君が諫めを容れれば、病は苦さによって消え、暗君がへつらいに従えば、命は甘さによって落ちる。戒めずにおられようか、戒めずにおられようか。