帝範 / 建親第二
昔周之興也,割裂山河,分王宗族。内有晉鄭之輔,外有魯衛之虞。故卜祚靈長,歴年數百。秦之季也,棄淳于之䇿,納李斯之謀。不親其親,獨智其智,顛覆莫恃,二世而亡。斯豈非枝葉不疎,則根柢難㧞;股肱既殞,則心腹無依者哉!
新字:昔周之興也,割裂山河,分王宗族。内有晋鄭之輔,外有魯衛之虞。故卜祚霊長,歴年数百。秦之季也,棄淳于之策,納李斯之謀。不親其親,独智其智,顛覆莫恃,二世而亡。斯豈非枝葉不疎,則根柢難抜;股肱既殞,則心腹無依者哉!
書き下し
昔(むかし)周(しゅう)の興(おこ)るや、山河(さんが)を割裂(かつれつ)し、宗族(そうぞく)を分(わ)かちて王(おう)とす。内(うち)に晉鄭(しんてい)の輔(たすけ)有(あ)り、外(そと)に魯衛(ろえい)の虞(そなへ)有(あ)り。故(ゆゑ)に卜祚(ぼくそ)靈長(れいちょう)にして、歴年(れきねん)數百(すうひゃく)なり。秦(しん)の季(すゑ)や、淳于(じゅんう)の䇿(さく)を棄(す)て、李斯(りし)の謀(はかりごと)を納(い)る。其(そ)の親(しん)を親(しん)とせず、獨(ひと)り其(そ)の智(ち)を智(ち)とし、顛覆(てんぷく)して恃(たの)む莫(な)く、二世(にせい)にして亡(ほろ)ぶ。斯(こ)れ豈(あ)に枝葉(しよう)疎(そ)ならざれば、則(すなは)ち根柢(こんてい)㧞(ぬ)き難(がた)く、股肱(ここう)既(すで)に殞(お)つれば、則(すなは)ち心腹(しんぷく)依(よ)る無(な)き者(もの)に非(あら)ずや。
現代語訳
昔、周が興ったとき、山河を分け割いて一族を諸侯として封じた。内には晉や鄭の輔けがあり、外には魯や衛の備えがあった。だから国の運は長く続き、数百年を数えた。秦の末には、淳于越の封建策を捨て、李斯の郡県策を採った。親族を親族として遇せず、自分の智だけを智として恃み、倒れたときに頼れる者がなく、二代で滅んだ。これはつまり、枝葉が疎らでなければ根はなかなか抜けず、手足が先に落ちてしまえば胸腹には寄る辺がない、ということではないか。
解説
周と秦の対比で封建の効用を説く。ここで太宗が挙げる証拠は、勝った理由ではなく、倒れたときに何が残るかである。周は数百年続き、秦は二代で消えた。差は「顛覆して恃む莫く」——倒れた瞬間に頼れる者がいたかどうかだった。「其の親を親とせず、獨り其の智を智とし」の一句が秦の敗因として名指しされている。自分の判断が正しいことと、自分の判断だけで回すことは別だという指摘である。結びの比喩も鮮やかだ。枝葉が茂っていれば根は抜けにくく、手足が落ちれば胴体は立てない。平時には冗長に見える広がりが、危機のときの生存条件になる。効率を理由に枝葉を刈り込んだ組織が、一度の失敗から立て直せなくなる話は珍しくない。
この章句が説くこと
周と秦封建と郡県枝葉と根柢冗長性
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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