帝範 / 序
昔隋季版蕩,海内分崩。先皇以神武之姿,當經綸之㑹,斬靈蛇而定王業,啟金鏡而握天樞。然由五嶽含氣,三光戢曜,豺狼尚梗,風塵未寧。朕以弱冠之年,懷慷慨之志,思靖大難,以濟蒼生。躬擐甲胄,親當矢石。夕對魚鱗之陣,朝臨鶴翼之圍,敵無大而不摧,兵何堅而不碎,剪長鯨而清四海,掃欃槍而廓八紘。乗慶天潢,登暉璇極,襲重光之永業,繼大寳之隆基。戰戰兢兢,若臨深而御朽;日愼一日,思善始而令終。
新字:昔隋季版蕩,海内分崩。先皇以神武之姿,当経綸之会,斬霊蛇而定王業,啓金鏡而握天枢。然由五嶽含気,三光戢曜,豺狼尚梗,風塵未寧。朕以弱冠之年,懐慷慨之志,思靖大難,以済蒼生。躬擐甲胄,親当矢石。夕対魚鱗之陣,朝臨鶴翼之囲,敵無大而不摧,兵何堅而不砕,剪長鯨而清四海,掃欃槍而廓八紘。乗慶天潢,登暉璇極,襲重光之永業,継大宝之隆基。戦戦兢兢,若臨深而御朽;日慎一日,思善始而令終。
書き下し
昔(むかし)隋(ずい)の季(すゑ)、版蕩(はんとう)して、海内(かいだい)分崩(ぶんぽう)す。先皇(せんこう)神武(しんぶ)の姿(すがた)を以(も)って、經綸(けいりん)の㑹(かい)に當(あた)り、靈蛇(れいだ)を斬(き)って王業(おうぎょう)を定(さだ)め、金鏡(きんきょう)を啟(ひら)いて天樞(てんすう)を握(にぎ)る。然(しか)れども由(な)ほ五嶽(ごがく)氣(き)を含(ふく)み、三光(さんこう)曜(ひかり)を戢(をさ)め、豺狼(さいろう)尚(な)ほ梗(ふさ)ぎ、風塵(ふうじん)未(いま)だ寧(やす)からず。朕(ちん)弱冠(じゃっかん)の年(とし)を以(も)って、慷慨(こうがい)の志(こころざし)を懷(いだ)き、大難(たいなん)を靖(しづ)め、以(も)って蒼生(そうせい)を濟(すく)はんと思(おも)ふ。躬(みづか)ら甲胄(かっちゅう)を擐(つらぬ)き、親(みづか)ら矢石(しせき)に當(あた)る。夕(ゆふ)べには魚鱗(ぎょりん)の陣(じん)に對(たい)し、朝(あした)には鶴翼(かくよく)の圍(かこ)みに臨(のぞ)み、敵(てき)は大(だい)にして摧(くだ)かざる無(な)く、兵(へい)は何(いづ)れの堅(かた)きか碎(くだ)かざらん。長鯨(ちょうげい)を剪(き)って四海(しかい)を清(きよ)め、欃槍(ざんそう)を掃(はら)って八紘(はっこう)を廓(ひろ)む。慶(けい)に乗(じょう)じて天潢(てんこう)たり、暉(ひかり)に登(のぼ)って璇極(せんきょく)たり。重光(ちょうこう)の永業(えいぎょう)を襲(つ)ぎ、大寳(たいほう)の隆基(りゅうき)を繼(つ)ぐ。戰戰兢兢(せんせんきょうきょう)として、深(ふか)きに臨(のぞ)んで朽(く)ちたるを御(ぎょ)するが若(ごと)く、日(ひ)に一日(いちじつ)を愼(つつし)み、善(よ)く始(はじ)めて終(をは)りを令(よ)くせんことを思(おも)ふ。
現代語訳
かつて隋の末、法度は破れ、天下は崩れ分かれた。父・高祖は神のごとき武の資質をもって乱世を治める時に当たり、霊蛇を斬るようにして王業を定め、金鏡を開いて天の枢を握った。それでもなお五嶽は妖気を含み、日月星は光をひそめ、豺狼のような輩が道をふさぎ、戦の塵は静まらなかった。私は二十歳の年に、憤り立つ志を抱き、大難を鎮めて民を救おうと思った。自ら甲冑を着け、自ら矢石の前に立った。夕べには魚鱗の陣に向かい、朝には鶴翼の囲みに臨み、どんな大敵も砕かぬことはなく、どんな堅陣も破らぬことはなかった。長鯨を斬って四海を清め、凶星を掃って天下を広げた。皇統の慶びに乗り、輝きを昇らせて帝位に至り、代々の輝かしい業を受け継ぎ、大いなる宝の基を継いだ。それでも戦々恐々として、深淵に臨んで朽ちた綱で馬を御するように、一日一日を慎み、よく始めた事をよく終えたいと願ってきた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『帝範』後序吾(われ)在位(ざいい)以来(いらい)、制(せい)する所(ところ)多(おほ)し。竒麗(きれい)の服翫(ふくがん)、錦繡(きんしゅう)珠玉(しゅぎょく)、前(まへ)に絶(た)えざるは、此(こ)れ欲(よく)を防(ふせ)ぐに非(あら)ざるなり。楹(はしら)を雕(ほ)り桷(たるき)を刻(きざ)み、髙臺(こうだい)深池(しんち)、每(つね)に其(そ)の役(えき)を興(おこ)すは、此(こ)れ儉(けん)の志(こころざし)に非(あら)ざるなり。犬馬(けんば)鷹鶻(ようこつ)、遠(とほ)しとして必(かなら)ず致(いた)さざる無(な)きは、此(こ)れ心(こころ)を節(せっ)するに非(あら)ざるなり。數(しばしば)行幸(ぎょうこう)有(あ)りて、以(も)って亟(しばしば)人(ひと)を勞(ろう)せしむるは、此(こ)れ己(おのれ)を屈(くっ)するに非(あら)ざるなり。斯(こ)の事(こと)は、吾(わ)が深(ふか)き過(あやま)ちなり。兹(これ)を以(も)って是(ぜ)と為(な)して後(のち)に法(のっと)る勿(なか)れ。但(た)だ我(われ)蒼生(そうせい)を濟育(せいいく)して其(そ)の益(えき)多(おほ)く、寰宇(かんう)を平定(へいてい)して其(そ)の功(こう)大(だい)なり。益(えき)多(おほ)く損(そん)少(すく)なければ、人(ひと)怨(うら)みず、功(こう)大(だい)にして過(あやま)ち微(かす)かなれば、徳(とく)未(いま)だ虧(か)けず。然(しか)れども猶(な)ほ之(これ)を盡美(じんび)の蹤(あと)に、焉(ここ)に於(お)いて媿(は)づること多(おほ)く、盡善(じんぜん)の道(みち)、此(これ)を顧(かへり)みて慚(は)を懷(いだ)く。况(いは)んや汝(なんぢ)は纎毫(せんごう)の功(こう)無(な)く、直(ただ)に基(もとゐ)に縁(よ)りて慶(けい)を履(ふ)むをや。若(も)し善(ぜん)を崇(たっと)びて以(も)って徳(とく)を廣(ひろ)むれば、則(すなは)ち業(ぎょう)泰(やす)く身(み)安(やす)く、若(も)し情(じょう)を肆(ほしいまま)にして以(も)って非(ひ)に從(したが)へば、則(すなは)ち業(ぎょう)傾(かたむ)き身(み)䘮(うしな)ふ。且(か)つ成(な)ること遲(おそ)く敗(やぶ)るること速(すみ)やかなる者(もの)は、國基(こっき)なり。失(うしな)ひ易(やす)く得(え)難(がた)き者(もの)は、天位(てんい)なり。惜(を)しまざる可(べ)けんや。
-
貞観政要・慎終貞観九年、太宗公卿に謂いて曰く、「朕は端拱無為なるに、四夷は咸な服す。豈に朕一人の致す所ならんや。実に諸公の力に頼るのみ。当に善く始め令(よ)く終え、永く鴻業を固くし、子子孫孫、逓(たが)いに相い輔翼するを思うべし。豊功厚利をして来葉に施し、数百年の後、我が国史を読ましめ、鴻勲茂業の粲然として観るべからしめん。豈に惟だ隆周・炎漢及び建武・永平の故事を称するのみならんや」と。房玄齢因りて進みて曰く、「陛下の撝挹(きゆう)の志、功を群下に推す。理を致し升平なるは、本と聖徳に関す。臣下に何の力か之れ有らん。惟だ願わくは陛下、始め有り卒わり有らば、則ち天下永く頼らん」と。太宗又た曰く、「朕は古先の乱を撥(おさ)むるの主を観るに、皆な年は四十を逾ゆ。惟だ光武のみ年三十三なり。但だ朕は年十八にして便ち兵を挙げ、年二十四にして天下を定め、年二十九にして升りて天子と為る。此れ則ち武は古に勝る。少(わか)くして戎旅に従い、書を読むに暇あらず。貞観より以来、手は巻を釈(お)かず。風化の本を知り、政理の源を見る。之を行うこと数年、天下大いに治まりて風は移り俗は変ず。子は孝に臣は忠なり。此れ又た文は古に過ぐ。昔、周・秦より以降、戎狄は内侵す。今、戎狄は顙(ひたい)を稽(とど)め、皆な臣妾と為る。此れ又た遠きを懐(なつ)くること古に勝る。此の三者は、朕、何の徳ありて以て之に堪えんや。既に此の功業有り。何ぞ善く始め終わりを慎まざるを得んや」と。
-
貞観政要・公平前後の諷諭を省(かんが)みるに、皆な切至の意なり。固より卿に望む所なり。朕は昔、衡門に在り、尚お惟れ童幼なり。未だ師保の訓に漸(すす)まず、罕(まれ)に先達の言を聞く。隋主の分崩し、万邦の塗炭に値(あ)う。惵惵(ちょうちょう)たる黔黎、身を庇う所無し。朕は二九の年より、溺を拯(すく)うの懐い有り。憤を発し袂を投じ、便ち干戈を提(ひっさ)ぐ。霜露を蒙犯し、東西に征伐す。日に給するに暇あらず、居るに寧歳無し。蒼昊の霊を降し、廟堂の略を稟(う)く。義旗の指す所、触るる向(さき)は平夷す。弱水・流沙も、並びに輶軒(ゆうけん)の使を通ず。被髪左衽も、皆な衣冠の域と為る。正朔の班(し)く所、遠しとして届かざる無し。恭しく宝暦を承け、寅(つつし)みて帝図を奉ずるに及び、垂拱無為にして、氛埃(ふんあい)は靖息す。茲に十有余年。斯れ蓋し股肱は帷幄の謀を罄(つく)し、爪牙は熊羆の力を竭くす。徳を協(あ)わせ心を同じくし、以て此に致る。自ら惟うに寡薄なるに、厚く斯の休を享く。大なる神器を撫するを以て、憂いは深く責めは重し。常に万幾の多く曠(むな)しく、四聡の達せざるを懼る。戦戦兢兢として、坐して以て旦を待つ。公卿に詢(と)い、以て隸皂(れいそう)に至るまで、推すに赤心を以てす。庶幾(ちか)くは明らかに頼り、一動もて鍾石を以てす。淳風至徳、永く竹帛に伝う。克く鴻名を播き、常に称首と為らん。朕は虚薄を以て、往代に慚ずること多し。若し舟楫に任ぜずんば、豈に彼の巨川を済(わた)るを得んや。塩梅を藉らずんば、安くんぞ夫の五味を調うるを得んや。絹三百匹を賜う。
-
『帝範』序汝(なんぢ)㓜年(ようねん)を以(も)って、偏(ひと)へに慈愛(じあい)を鍾(あつ)め、義方(ぎほう)闕(か)くること多(おほ)く、庭訓(ていきん)乖(そむ)くこと有(あ)り。維城(いじょう)の居(きょ)より擢(ぬ)きんでて、屬(しょく)するに少陽(しょうよう)の任(にん)を以(も)ってす。未(いま)だ君臣(くんしん)の禮節(れいせつ)を辨(わきま)へず、稼穡(かしょく)の艱難(かんなん)を知(し)らず。朕(ちん)每(つね)に此(これ)を思(おも)ひて憂(うれ)ひと為(な)し、未(いま)だ嘗(かつ)て寢(しん)を廢(はい)し食(しょく)を忘(わす)れずんばあらず。軒昊(けんこう)より已降(いこう)、周隋(しゅうずい)に迄(いた)るまで、天(てん)を經(けい)し地(ち)を緯(い)する君(きみ)、業(ぎょう)を纂(つ)ぎ基(もとゐ)を承(う)くる主(しゅ)を以(も)って、興亡治亂(こうぼうちらん)、其(そ)の道(みち)煥(あき)らかなり。所以(ゆゑ)に前蹤(ぜんしょう)を披鏡(ひきょう)し、史籍(しせき)を博覽(はくらん)し、其(そ)の要言(ようげん)を聚(あつ)めて、以(も)って近誡(きんかい)と為(な)すのみ。
-
『帝範』序朕(ちん)聞(き)く、大徳(たいとく)を生(せい)と曰(い)ひ、大寳(たいほう)を位(くらゐ)と曰(い)ふと。其(そ)の上下(しょうげ)を辨(わきま)へ、之(これ)に君臣(くんしん)を樹(た)つるは、黎元(れいげん)を撫育(ぶいく)し、庶類(しょるい)を鈞陶(きんとう)する所以(ゆゑん)なり。克(よ)く明(めい)に克(よ)く哲(てつ)に、允(まこと)に武(ぶ)に允(まこと)に文(ぶん)に、皇天(こうてん)命(めい)を眷(かへり)み、歴數(れきすう)躬(み)に在(あ)るに非(あら)ざるよりは、安(いづく)んぞ濫(みだ)りに靈圖(れいと)を握(にぎ)り、叨(みだ)りに神器(しんき)に臨(のぞ)む可(べ)けんや。是(ここ)を以(も)って翠媯(すいき)は唐堯(とうぎょう)の徳(とく)を荐(すす)め、元圭(げんけい)は夏禹(かう)の功(こう)に錫(たま)ふ。丹字(たんじ)祥(しょう)を呈(てい)して、周(しゅう)は八百(はっぴゃく)の祚(そ)を開(ひら)き、素靈(それい)瑞(ずい)を表(あらは)して、漢(かん)は重世(ちょうせい)の基(もとゐ)を啓(ひら)く。此(これ)に由(よ)って之(これ)を觀(み)れば、帝王(ていおう)の業(ぎょう)は、力(ちから)を以(も)って爭(あらそ)ふ可(べ)き者(もの)に非(あら)ざるなり。
-
貞観政要・慎終伏して惟うに陛下、年は甫(はじ)めて弱冠にして、大いに横流を拯(すく)い、区宇を削平し、肇(はじ)めて帝業を開く。貞観の初め、時に方(まさ)に克壮なり。嗜欲を抑損し、躬ら節倹を行う。内外は康寧にして、遂に至治に臻(いた)る。功を論ずれば則ち湯・武も方(くら)ぶるに足らず。徳を語れば則ち堯・舜も未だ遠しと為さず。臣は左右に擢居せられてより、十有余年。帷幄に侍する毎に、屢々明旨を奉ず。常に仁義の道を許し、之を守りて失わず。倹約の志、終始して渝(かわ)らず。一言、邦を興すとは、斯れ之を謂うなり。徳音は耳に在り。敢えて之を忘れんや。而るに頃年より以来、稍(やや)曩志(のうし)に乖(そむ)き、敦朴の理、漸く克く終えず。謹んで聞く所を以て、之を左に列す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る