荘子 / 列禦寇
賊莫大乎德有心而心有眼,及其有眼也而內視,內視而敗矣。凶德有五,中德為首。何謂中德?中德也者,有以自好也而吡其所不為者也。
新字:賊莫大乎徳有心而心有眼,及其有眼也而内視,内視而敗矣。凶徳有五,中徳為首。何謂中徳?中徳也者,有以自好也而吡其所不為者也。
書き下し
賊は徳に心有りて心に眼有るより大なるは莫し。其の眼有るに及びて内視す。内視して敗る。凶徳に五有り。中徳を首と為す。何をか中徳と謂う。中徳なる者は、以て自ら好むこと有りて、其の為さざる所を吡(そし)る者なり。
現代語訳
災いとして、徳に心が生まれ、その心に目ができることほど大きなものはない。目ができると、内を見るようになる。内を見れば、崩れる。凶なる徳には五つあるが、その筆頭が『中徳』だ。中徳とは何か。中徳とは、自分を好ましく思う気持ちがあって、自分がやらないことをする人を謗る者のことだ。
解説
「自分を好ましく思う気持ちがあって、自分がやらないことをする人を謗る」。これが最悪の徳だ、と言う一段です。自分は正しい。だから、そうしない人を批判する。この構造が、最も危ういのです。徳を持つこと自体は良い。しかし、徳に「心」が生まれ、その心に「目」ができると、自分を見張り、他人を裁くようになる。正しさが、裁きの道具になった瞬間、それは災いに変わります。
この章句が説くこと
中徳為首自分を好み他人を謗る正しさが裁きになる自己修養
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