荘子 / 盗跖
丘之所以說我者,若告我以鬼事,則我不能知也;若告我以人事者,不過此矣,皆吾所聞知也。今吾告子以人之情:目欲視色,耳欲聽聲,口欲察味,志氣欲盈。人上壽百歲,中壽八十,下壽六十,除病瘦、死喪、憂患,其中開口而笑者,一月之中不過四五日而已矣。天與地無窮,人死者有時,操有時之具而託於無窮之間,忽然無異騏驥之馳過隙也。不能說其志意,養其壽命者,皆非通道者也。丘之所言,皆吾之所棄也,亟去走歸,無復言之!子之道,狂狂汲汲,詐巧虛偽事也,非可以全真也,奚足論哉?」
新字:丘之所以説我者,若告我以鬼事,則我不能知也;若告我以人事者,不過此矣,皆吾所聞知也。今吾告子以人之情:目欲視色,耳欲聴声,口欲察味,志気欲盈。人上寿百歳,中寿八十,下寿六十,除病痩、死喪、憂患,其中開口而笑者,一月之中不過四五日而已矣。天与地無窮,人死者有時,操有時之具而託於無窮之間,忽然無異騏驥之馳過隙也。不能説其志意,養其寿命者,皆非通道者也。丘之所言,皆吾之所棄也,亟去走帰,無復言之!子之道,狂狂汲汲,詐巧虚偽事也,非可以全真也,奚足論哉?」
書き下し
丘の我を説く所以の者、若し我に告ぐるに鬼事を以てせば、則ち我は知る能わず。若し我に告ぐるに人事を以てせば、此に過ぎず。皆な吾の聞知する所なり。今、吾は子に告ぐるに人の情を以てせん。目は色を視んと欲し、耳は声を聴かんと欲し、口は味を察せんと欲し、志気は盈(み)たんと欲す。人の上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。病瘦(びょうそう)、死喪、憂患を除けば、其の中に口を開きて笑う者は、一月の中、四五日に過ぎざるのみ。天と地とは窮まり無く、人の死する者は時有り。時有るの具を操りて無窮の間に託す。忽然として騏驥(きき)の隙を馳せ過ぐるに異なる無し。其の志意を説(よろこ)ばせ、其の寿命を養う能わざる者は、皆な道に通ずる者に非ざるなり。丘の言う所は、皆な吾の棄つる所なり。亟(すみ)やかに去り走りて帰れ。復た之を言うこと無かれ。子の道は、狂狂汲汲(きょうきょうきゅうきゅう)、詐巧虚偽の事なり。真を全うすべきに非ざるなり。奚(なん)ぞ論ずるに足らんや」と。
現代語訳
お前が私を説得しようとするなら、鬼神のことを持ち出しても、私には分からない。人の世のことを持ち出しても、この程度のことにすぎず、すべて私も聞き知っている。今、私はお前に、人間の実情を教えてやろう。目は美しい色を見たがり、耳は良い音を聴きたがり、口は美味を味わいたがり、心は満ち足りたがる。人の寿命は、上は百歳、中は八十、下は六十だ。病や痩せ衰え、死や喪、憂いや患いを除けば、その中で口を開けて笑える日は、ひと月のうち四、五日にすぎない。天地は果てしないが、人の死には時がある。限りある道具を持って、果てしない時間の中に身を置いている。それは、駿馬が壁の隙間を走り過ぎるのと変わらない。自分の心を喜ばせ、寿命を養えない者は、道に通じた者ではない。お前の言うことは、すべて私が捨てたものだ。さっさと帰れ。二度と言うな。お前の道は、狂ったようにあくせくして、偽りと巧言に満ちている。真を全うできるものではない。何を論じる価値があるものか。
解説
この章句が説くこと
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『洗心洞箚記』卷上・第百六十二條然れども奸人曲学偽学を以て之を抹殺するは、何の故ぞや。吾請ふ一言を以て其の由を弁ぜん。夫れ聖賢の言行は、大いに俗情に反す。俗情とは何ぞ。盗跖の云ふ所是れなるのみ。其の言に曰く、「人の情、目は色を視んと欲し、耳は声を聴かんと欲し、口は味を察せんと欲し、気は盈たんと欲す。人上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十、病瘦死喪憂患を除けば、其の中口を開きて笑ふ者、一月の中四五日に過ぎざるのみ。天と地とは窮まり無く、人の死する者は時有り。有時の具を操りて、無窮の間に託す、忽然として騏驥の隙を過ぐるに異なる無し。其の志意を説ばしめ、其の寿命を養ふこと能はざる者は、皆道に通ずる者に非ざるなり。丘の言ふ所は、皆吾の棄つる所なり」と。此れ荘子の寓言なりと雖も、今古貴賤上下の心口に相期する所の者は、斯の数語を出でざるなり。而して聖賢の道は則ち之に反す。礼に非ざれば視聴言動すること勿く、而して志気常に内に収めて以て放たず。病瘦死喪憂患の中に在りと雖も、皆其の心を尽くすを以て道と為し、而して未だ嘗て是を以て累と為さざるなり。而して常人の口を開きて笑ふ者は、淫戯放逸の事に非ざるは莫きなり。聖賢之に遭へば則ち決して笑はず、却つて蹙頻攢眉して、以て憂愁悲哀する者多し。
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荘子・盗跖盗跖大いに怒りて曰く、「丘、前に来たれ。夫れ利を以て規(さと)すべくして言を以て諫むべき者は、皆な愚陋恒民(ぐろうこうみん)の謂いのみ。今、長大美好にして、人見て之を悦ぶ者は、此れ吾が父母の遺徳なり。丘は吾を誉めずと雖も、吾独り自ら知らざらんや。且つ吾之を聞く、『面を好みて人を誉むる者は、亦た背を好みて之を毀(そし)る』と。今、丘は我に告ぐるに大城衆民を以てす。是れ我を規すに利を以てして、恒民として我を畜(やしな)わんと欲するなり。安(いず)くんぞ久長なるべけんや。城の大なる者は、天下より大なるは莫し。堯・舜は天下を有つも、子孫に錐を置くの地無し。湯・武は立ちて天子と為るも、後世に絶滅す。其の利の大なるを以ての故に非ずや。
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『列子』楊朱篇楊朱曰く、百年は壽の大齊なり。百年を得る者は千に一も無し。設い一有る者も、孩抱より昏老に逮ぶまで、幾ど其の半ばに居る。夜眠の弭む所、晝覺の遺る所、又た幾ど其の半ばに居る。痛疾哀苦、亡失憂懼、又た幾ど其の半ばに居る。十數年の中を量るに、逌然として自得し介焉の慮無き者は、亦た一時の中も亡きのみ。則ち人の生や奚をか爲さんや。奚をか樂しまんや。美厚を爲すのみ、聲色を爲すのみ。而も美厚は復た常には厭足すべからず、聲色は常には翫聞すべからず。乃ち復た刑賞の禁勸する所、名法の進退する所と爲り、遑遑爾として一時の虛譽を競い、死後の餘榮を規る。偊偊爾として耳目の觀聽に順い、身意の是非を惜しみ、徒らに當年の至樂を失い、一時に自ら肆にする能わず。重囚纍梏、何を以て异ならんや。
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荘子・盗跖孔子聴かず。顔回御と為り、子貢右と為り、往きて盗跖に見ゆ。盗跖乃ち方(まさ)に卒徒を太山の陽に休ませ、人の肝を膾(なます)にして之を餔(くら)う。孔子車を下りて前み、謁者に見えて曰く、「魯人孔丘、将軍の高義を聞き、敬みて謁者に再拝す」と。謁者入りて通ず。盗跖之を聞きて大いに怒る。目は明星の如く、髪は上りて冠を指す。曰く、「此れ夫の魯国の巧偽人(こうぎじん)孔丘に非ずや。我が為に之に告げよ。『爾(なんじ)は言を作り語を造り、妄りに文・武を称す。枝木の冠を冠し、死牛の脅(あばら)を帯とし、多辞繆説(びゅうせつ)、耕さずして食らい、織らずして衣る。唇を揺らし舌を鼓し、擅(ほしいまま)に是非を生じ、以て天下の主を迷わし、天下の学士をして其の本に反らざらしむ。妄りに孝弟を作りて、封侯富貴に儌倖(ぎょうこう)する者なり。子の罪は大にして極めて重し。疾(と)く走りて帰れ。然らずんば、我将に子の肝を以て昼餔(ちゅうほ)の膳に益さんとす』と」。
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荘子・盗跖孔子曰く、「丘之を聞く。凡そ天下に三徳有り。生まれて長大、美好無双、少長貴賎、見て皆な之を説(よろこ)ぶ。此れ上徳なり。知は天地を維(つな)ぎ、能く諸物を辯ず。此れ中徳なり。勇悍果敢、衆を聚めて兵を率いる。此れ下徳なり。凡そ人、此の一徳有る者は、以て南面して孤(こ)と称するに足る。今、将軍は此の三者を兼ぬ。身の長け八尺二寸、面目に光有り、唇は激丹の如く、歯は斉貝の如く、音は黄鐘に中(あた)る。而も名は盗跖と曰う。丘は竊かに将軍の為に恥じて取らざるなり。将軍、臣を聴くに意有らば、臣請う、南のかた呉・越に使いし、北のかた斉・魯に使いし、東のかた宋・衛に使いし、西のかた晋・楚に使いせん。将軍の為に大城数百里を造り、数十万戸の邑を立て、将軍を尊びて諸侯と為し、天下と与に更(あらた)め始め、兵を罷(や)め卒を休め、昆弟を収養し、共に先祖を祭らしめん。此れ聖人才士の行にして、天下の願いなり」と。
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荘子・盗跖今、子は文・武の道を修め、天下の辯を掌り、以て後世を教う。縫衣浅帯(ほういせんたい)、矯言偽行(きょうげんぎこう)、以て天下の主を迷惑し、而して富貴を求めんと欲す。盗は子より大なるは莫し。天下何の故に子を謂いて盗丘(とうきゅう)と為さずして、乃ち我を謂いて盗跖と為すか。子は甘辞を以て子路を説きて之を従わしめ、子路をして其の危冠(きかん)を去り、其の長剣を解きて、教えを子に受けしむ。天下皆な曰く『孔丘は能く暴を止め非を禁ず』と。其の卒(つい)に之れ、子路は衛君を殺さんと欲して事成らず、身は衛の東門の上に菹(しし)にせらる。是れ子の教えの至らざるなり。子は自ら才士聖人と謂うか。則ち再び魯に逐われ、跡を衛に削られ、斉に窮し、陳・蔡に囲まれ、身を天下に容れられず。子は子路を教えて此の患いに菹にす。上は以て身を為(おさ)むる無く、下は以て人を為むる無し。子の道、豈に貴ぶに足らんや。
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