荘子 / 盗跖
世之所謂忠臣者,莫若王子比干、伍子胥,子胥沈江,比干剖心。此二子者,世謂忠臣也,然卒為天下笑。自上觀之,至於子胥、比干,皆不足貴也。
新字:世之所謂忠臣者,莫若王子比干、伍子胥,子胥沈江,比干剖心。此二子者,世謂忠臣也,然卒為天下笑。自上観之,至於子胥、比干,皆不足貴也。
書き下し
世の所謂忠臣なる者は、王子比干・伍子胥に若くは莫し。子胥は江に沈み、比干は心を剖(さ)かる。此の二子なる者は、世に忠臣と謂うなり。然れども卒(つい)に天下の笑いと為る。上より之を観れば、子胥・比干に至るまで、皆な貴ぶに足らざるなり。
現代語訳
世が忠臣と呼ぶのは、王子比干と伍子胥に勝る者はいない。伍子胥は死体を川に沈められ、比干は心臓を裂かれた。この二人は、世に忠臣と呼ばれている。しかし結局は、天下の笑い者になった。高いところから見れば、伍子胥や比干に至るまで、みな尊ぶに値しない。
解説
忠臣の代名詞である二人を、「天下の笑い者」と切り捨てる一段です。比干は心臓を裂かれ、伍子胥は死体を川に沈められました。忠義を貫いた結果が、これです。盗跖の論理は一貫しています。どれほど立派な理由があっても、殺されてしまえば意味がない。生きていることが、すべての前提だからです。忠義そのものを否定しているのではなく、忠義のために命を捨てることを否定しているのです。
この章句が説くこと
比干伍子胥忠臣の末路卒為天下笑命が前提忠臣讒言
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