荘子 / 譲王
二子北至於首陽之山,遂餓而死焉。若伯夷、叔齊者,其於富貴也,苟可得已,則必不賴。高節戾行,獨樂其志,不事於世,此二士之節也。
新字:二子北至於首陽之山,遂餓而死焉。若伯夷、叔斉者,其於富貴也,苟可得已,則必不頼。高節戻行,独楽其志,不事於世,此二士之節也。
書き下し
二子北のかた首陽の山に至り、遂に餓えて焉(そこ)に死せり。伯夷・叔斉の若き者は、其の富貴に於けるや、苟(いやしく)も得べくんば、則ち必ず頼(たよ)らざるなり。高節戾行(こうせつれいこう)、独り其の志を楽しみ、世に事えず。此れ二士の節なり。
現代語訳
二人は北へ向かい、首陽山にたどり着き、ついに餓死した。伯夷と叔斉のような者は、富貴について、たとえ手に入れられるとしても、決してそれに頼ろうとはしない。高い節操と世俗に逆らう行い。ただ自分の志を楽しみ、世に仕えない。これが、この二人の節操である。
解説
譲王篇を締めくくる一段です。伯夷と叔斉は、周の粟を食べることを拒んで餓死しました。「たとえ手に入れられるとしても、決してそれに頼ろうとはしない」。手に入らないから諦めたのではありません。手に入るのに、拒んだのです。この違いは決定的です。譲王篇は、天下を譲られて断り続ける人々の物語でした。断ることの重みが、この結末に凝縮されています。ただし荘子は、この生き方を無条件に讃えているわけでもありません。
この章句が説くこと
伯夷叔斉首陽山に餓死手に入るのに拒む独楽其志信念価値観
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