荘子 / 譲王
故曰:道之真以治身,其緒餘以為國家,其土苴以治天下。由此觀之,帝王之功,聖人之餘事也,非所以完身養生也。今世俗之君子,多為身棄生以殉物,豈不悲哉!凡聖人之動作也,必察其所以之,與其所以為。今且有人於此,以隨侯之珠彈千仞之雀,世必笑之。是何也?則其所用者重而所要者輕也。夫生者,豈特隨侯之重哉!
新字:故曰:道之真以治身,其緒余以為国家,其土苴以治天下。由此観之,帝王之功,聖人之余事也,非所以完身養生也。今世俗之君子,多為身棄生以殉物,豈不悲哉!凡聖人之動作也,必察其所以之,与其所以為。今且有人於此,以随侯之珠弾千仞之雀,世必笑之。是何也?則其所用者重而所要者軽也。夫生者,豈特随侯之重哉!
書き下し
故に曰く、道の真は以て身を治め、其の緒余(しょよ)は以て国家を為(おさ)め、其の土苴(どしゃ)は以て天下を治む、と。此に由りて之を観れば、帝王の功は、聖人の余事なり。身を完うし生を養う所以に非ざるなり。今世俗の君子は、多く身を為(おさ)めんとして生を棄て以て物に殉ず。豈に悲しからずや。凡そ聖人の動作するや、必ず其の之く所以と、其の為す所以とを察す。今且つ人有り、此に随侯(ずいこう)の珠を以て千仞の雀を弾(う)たば、世は必ず之を笑わん。是れ何ぞや。則ち其の用うる所の者は重くして要(もと)むる所の者は軽ければなり。夫れ生なる者は、豈に特(た)だ随侯の重きのみならんや。
現代語訳
だから言うのだ。道の真髄は自分の身を治めることに使い、その余りで国家を治め、その残りかすで天下を治めるのだ、と。こう見てくると、帝王の功績など、聖人にとってはついでの仕事にすぎない。身を全うし、生を養うためのものではない。ところが今の世俗の君子は、多くが身を修めようとして、かえって生を捨て、外の物に身を捧げている。なんと悲しいことか。聖人が何かをする時は、必ずその向かう先と、その理由を見きわめる。今ここに人がいて、随侯の名玉を弾にして、千仞の高さの雀を撃ったとしよう。世の人はきっと笑うだろう。なぜか。用いるものが重く、求めるものが軽いからだ。そもそも人の生というものは、随侯の玉どころではないほど重いのだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・貴生⑤故に曰く、「道の真、以て身を持し、其の緒餘、以て國家を為め、其の土苴、以て天下を治む。」此に由りて之を觀れば、帝王の功は、聖人の餘事なり。身を完くし生を養う所以の道に非ざるなり。今、世俗の君子は、身を危うくし生を棄てて、以て物に徇う。彼且た奚にか此を以て之かんとするや、彼且た奚にか此を以て為さんとするや。
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呂氏春秋・貴生⑥凡そ聖人の動作するや、必ず其の之く所以と其の為す所以とを察す。今、此に人有り、隨侯の珠を以て、千仞の雀を彈てば、世必ず之を笑わん。是れ何ぞや。用いる所の重くして、要する所の輕ければなり。夫れ生は豈に特に隨侯の珠の重きのみならんや。
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文子・下德老子曰く、物を治むる者は、物を以てせず和を以てす。和を治むる者は、和を以てせず人を以てす。人を治むる者は、人を以てせず君を以てす。君を治むる者は、君を以てせず欲を以てす。欲を治むる者は、欲を以てせず性を以てす。性を治むる者は、性を以てせず徳を以てす。徳を治むる者は、徳を以てせず道を以てす。道を以て人の性に本づくれば、邪穢無し。久しく物に湛れば即ち其の本を忘れ、即ち若の性に合す。衣食礼俗は、人の性に非ず、外より受くる所なり。故に人の性は平らかならんと欲するも、嗜欲之を害す。唯だ道有る者のみ能く物を遺れて己に反る。以て自ら鑒みる有れば、則ち物の情を失わず。以て自ら鑒みる無ければ、則ち動きて惑い営う。夫れ欲を縦にして性を失えば、動きて未だ嘗て正しからず。以て生を治むれば則ち身を失い、以て国を治むれば則ち人を乱す。故に道を聞かざる者は以て性に反る無し。古者の聖人は諸れを己に得たり。故に令行われ禁止む。凡そ事を挙ぐる者は、必ず先ず意を平らかにし神を清くす。神清く意平らかなれば、物は乃ち正す可し。聴は非誉に失われ、目は綵色に淫して、事の正しきを得んと欲すれば即ち難し。是を以て虚を貴ぶ。故に水激すれば則ち波起こり、気乱るれば則ち智昏し。昏き智は以て正しと為す可からず、波立つ水は以て平らと為す可からず。故に聖王は一を執りて、以て物の情性を理む。夫れ一とは、至って貴く天下に適う無し。聖王は無適に託す。故に天下の命と為る。
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荘子・譲王舜天下を子州支伯に譲る。子州支伯曰く、「予適ま幽憂の病有り。方に且つ之を治めんとす。未だ天下を治むるに暇あらざるなり」と。故に天下は大器なり。而も以て生に易(か)えず。此れ有道者の俗に異なる所以なり。
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『養生訓』巻第二・総論下一爰に人ありて、宝玉を以てつぶてとし雀をうたば、愚なりとて人必ずわらはん。至りておもき物を捨てて、至りてかろき物を得んとすればなり。人の身は至りておもし。然るに、至りてかろき小なる欲をむさぼりて身をそこなふは、軽重を知らずといふべし。宝玉を以て雀をうつがごとし。
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文子・道原老子曰く、聖人は人を治むるを忘れて、自ら理むるに在り。貴は勢位を忘れて、自得するに在り。自得すれば即ち天下我を得ん。楽は富貴を忘れて、和に在り。己を大とし天下を小とするを知れば、道に幾し。故に曰く、「虚を致すこと極まり、静を守ること篤く、万物並び作るも、吾以て其の復るを観る」と。夫れ道は、万物を陶冶し、終始に形無く、寂然として動かず、大いに通じ混冥し、深閎広大にして外と為す可からず、毫を折き芒を剖きて内と為す可からず、環堵の宇無くして、有無の間に生ず。真人は之を体するに虚無、平易、清静、柔弱、純粋素樸を以てし、物と雑ざらず、至徳天地の道なり。故に之を真人と謂う。真人とは、己を大とし天下を小とし、身を治むるを貴び人を治むるを賤しみ、物を以て和を滑さず、欲を以て情を乱さず、其の名姓を隠し、道有れば隠れ、道無ければ見われ、無為を為し、無事を事とし、不知を知る。天道を懐き、天心を包み、陰陽を噓吸し、故きを吐き新しきを納れ、陰と俱に閉じ、陽と俱に開き、剛柔と与に卷舒し、陰陽と与に俯仰し、天と心を同じくし、道と体を同じくす。楽しむ所無く、苦しむ所無く、喜ぶ所無く、怒る所無く、万物玄同して、非も是も無し。夫れ形の寒暑燥湿の虐に傷らるる者は、形究まれども神は壮んなり。神の喜怒思慮の患に傷らるる者は、神尽きて形は余り有り。故に真人は心を用い性に杖り、神に依りて相い扶け、而して終始を得。是を以て其の寝ぬるや夢みず、覚むるや憂い無し。
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