荘子 / 譲王
舜以天下讓其友石戶之農,石戶之農曰:「捲捲乎后之為人,葆力之士也。」以舜之德為未至也,於是夫負妻戴,攜子以入於海,終身不反也。
新字:舜以天下譲其友石戸之農,石戸之農曰:「捲捲乎后之為人,葆力之士也。」以舜之徳為未至也,於是夫負妻戴,攜子以入於海,終身不反也。
書き下し
舜天下を以て其の友石戸の農(せきこのう)に譲る。石戸の農曰く、「捲捲乎(けんけんこ)たり后(きみ)の人と為りや。葆力(ほうりょく)の士なり」と。舜の徳を以て未だ至らずと為すなり。是に於いて夫は負い妻は戴き、子を携えて以て海に入り、終身反らざるなり。
現代語訳
舜が天下を、友人である石戸の農夫に譲ろうとした。石戸の農夫は言った。「あなたという人は、こせこせと骨を折っている。力仕事に精を出す人だ」。舜の徳をまだ足りないと見たのである。そこで夫は荷を背負い、妻は頭に載せ、子を連れて海へ渡り、生涯戻らなかった。
解説
舜の徳を「まだ足りない」と評し、家族を連れて海の彼方へ去ってしまう一段です。「こせこせと骨を折っている」。舜は理想の聖王とされる人物です。それを、力仕事に精を出しているだけだ、と切り捨てる。そして誘われることを避けて、一家で消えてしまう。徹底しています。ここには、誘われることすら煩わしいという感覚があります。断れば済む話ではない。そもそも、そういう話を持ってこられる場所にいたくないのです。
この章句が説くこと
石戸之農舜の徳を足りずとする誘われること自体を避ける禅譲
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