荘子 / 寓言
眾罔兩問於景曰:「若向也俯而今也仰,向也括而今被髮,向也坐而今也起,向也行而今也止,何也?」景曰:「搜搜也,奚稍問也?予有而不知其所以。予,蜩甲也,蛇蛻也,似之而非也。火與日,吾屯也;陰與夜,吾代也。彼,吾所以有待邪?而況乎以有待者乎!彼來則我與之來,彼往則我與之往,彼強陽則我與之強陽。強陽者,又何以有問乎!」
新字:衆罔両問於景曰:「若向也俯而今也仰,向也括而今被髪,向也坐而今也起,向也行而今也止,何也?」景曰:「捜捜也,奚稍問也?予有而不知其所以。予,蜩甲也,蛇蛻也,似之而非也。火与日,吾屯也;陰与夜,吾代也。彼,吾所以有待邪?而況乎以有待者乎!彼来則我与之来,彼往則我与之往,彼強陽則我与之強陽。強陽者,又何以有問乎!」
書き下し
衆罔両(しゅうもうりょう)景(かげ)に問いて曰く、「若(なんじ)は向(さき)に俯して今は仰ぎ、向に括(くく)りて今は髪を被り、向に坐して今は起ち、向に行きて今は止まる。何ぞや」と。景曰く、「捜捜(そうそう)たり。奚(なん)ぞ稍(しばしば)問うや。予は有りて其の所以を知らず。予は、蜩甲(ちょうこう)なり、蛇蛻(だぜい)なり。之に似て非なるなり。火と日とは、吾が屯(あつ)まる所なり。陰と夜とは、吾が代(か)わる所なり。彼は、吾が以て待つ所有るか。而るを況んや待つ有る者を以てするをや。彼来たれば則ち我も之と与に来たり、彼往けば則ち我も之と与に往く。彼強陽(きょうよう)すれば則ち我も之と与に強陽す。強陽なる者は、又た何を以て問うこと有らんや」と。
現代語訳
たくさんの薄い影が、濃い影に尋ねた。「お前はさっきうつむいていたのに今は仰いでいる。さっきは髪を束ねていたのに今は振り乱している。さっきは座っていたのに今は立っている。さっきは歩いていたのに今は止まっている。どうしてなのか」。影は言った。「ざわざわと騒がしいな。なぜそんなに何度も聞くのか。私はそうしているが、なぜそうなのかは知らない。私は蝉の抜け殻のようなもの、蛇の脱け殻のようなものだ。似ているが、そのものではない。火と日があれば、私は集まって現れる。陰と夜になれば、私は入れ替わって消える。あれ(体)が、私の頼っているものなのか。まして、その体が頼っているものとなれば、なおさら分からない。あれが来れば私も来る。あれが去れば私も去る。あれが勢いよく動けば、私も勢いよく動く。ただ勢いに従っているだけの者に、何を尋ねようというのか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
荘子・斉物論罔両(もうりょう)景(かげ)に問いて曰く、「曩(さき)に子は行き、今子は止まる。曩に子は坐し、今子は起つ。何ぞ其れ特操(とくそう)無きや」と。景曰く、「吾待つ有りて然る者か。吾が待つ所も又た待つ有りて然る者か。吾は蛇蚹(だふ)・蜩翼(ちょうよく)を待つか。悪(いず)くんぞ然る所以を識(し)らん。悪くんぞ然らざる所以を識らん」と。
-
荘子・斉物論彼(かれ)に非ざれば我無く、我に非ざれば取る所無し。是も亦た近し。而も其の使(し)を為す所を知らず。真宰(しんさい)有るが若(ごと)きも、特(た)だ其の眹(きざし)を得ず。行うべきこと已(すで)に信なるも、而も其の形を見ず。情有りて形無し。百骸(ひゃくがい)、九竅(きゅうきょう)、六蔵(ろくぞう)、賅(そな)わりて存す。吾誰と与(とも)にか親を為さん。汝皆之を説(よろこ)ぶか。其れ私(わたくし)有るか。是(かく)の如くんば皆有らんも、臣妾(しんしょう)為(た)らんか。其れ臣妾は以て相治むるに足らざるか。其れ逓(たがい)に相い君臣と為らんか。其れ真君(しんくん)の存する有らんか。如(も)し其の情を求め得ると得ざるとも、其の真に益損無し。一たび其の成形を受くれば、亡(うしな)わずして以て尽くるを待つ。物と相刃(あいじん)し相靡(あいび)す。其の行くこと尽(ことごと)く馳(は)するが如くにして、之を能く止むる莫し。亦た悲しからずや。身を終うるまで役役(えきえき)として而も其の成功を見ず。苶然(でつぜん)として疲役(ひえき)して而も其の帰する所を知らず。哀しからざるべけんや。人之を死せずと謂うも、奚(なん)ぞ益あらん。其の形化して、其の心之と然(しか)り。大哀と謂わざるべけんや。人の生や、固に是(かく)の若く芒(くら)きか。其れ我のみ独り芒くして、人にも亦た芒からざる者有るか。
-
荘子・山木荘周雕陵(ちょうりょう)の樊(まがき)に遊ぶ。一の異鵲(いじゃく)の南方より来たる者を睹(み)る。翼の広さ七尺、目の大いさ運寸(うんすん)。周の顙(ひたい)に感(ふ)れて栗林に集(とま)る。荘周曰く、「此れ何の鳥ぞや。翼殷(さかん)なるも逝(と)ばず、目大なるも覩(み)ず」と。裳を蹇(かか)げ躩歩(かくほ)し、弾を執りて之を留む。一蝉の方に美蔭を得て其の身を忘るるを睹る。螳蜋(とうろう)翳(かげ)を執りて之を搏(う)たんとし、得るを見て其の形を忘る。異鵲従いて之を利とし、利を見て其の真を忘る。荘周怵然(じゅつぜん)として曰く、「噫(ああ)、物は固より相累(あいわずら)わす。二類は相召くなり」と。弾を捐(す)てて反り走る。虞人(ぐじん)逐いて之を誶(せ)む。
-
荘子・田子方孔子曰く、「何の謂いぞや」と。曰く、「心は焉(ここ)に困(くる)しみて知る能わず、口は焉に辟(へき)して言う能わず。嘗みに汝の為に其の将(ほぼ)を議せん。至陰は粛粛(しゅくしゅく)たり、至陽は赫赫(かくかく)たり。粛粛は天より出で、赫赫は地より発す。両者交通して和を成して物焉に生ず。或いは之が紀(き)を為すも、而も其の形を見る莫し。消息満虚(しょうそくまんきょ)し、一たびは晦(くら)く一たびは明らかなり。日に改まり月に化す。日に為す所有るも、而も其の功を見る莫し。生は萌(きざ)す所有り、死は帰する所有り。始終は相反して端(はし)無し。而も其の窮まる所を知る莫し。是に非ざれば、且つ孰(たれ)か之が宗を為さん」と。
-
荘子・斉物論瞿鵲子(くじゃくし)長梧子(ちょうごし)に問いて曰く、「吾諸(これ)を夫子に聞く。聖人は務めに従事せず、利に就かず、害を違(さ)けず、求むるを喜ばず、道に縁(よ)らず。謂う无(な)くして謂う有り、謂う有りて謂う无し。而して塵垢(じんこう)の外に遊ぶ、と。夫子は以て孟浪(もうろう)の言と為すも、而も我は以て妙道の行と為すなり。吾子は以て奚若(いかん)と為す」と。長梧子曰く、「是れ黄帝の聴きて熒(まど)う所なり。而るに丘(きゅう)や何ぞ以て之を知るに足らんや。且つ女も亦た大いに早計なり。卵を見て時夜(じや)を求め、弾を見て鴞炙(きょうしゃ)を求む。予(われ)嘗みに女の為に之を妄言せん。女も之を妄聴せよ。奚(いかん)。日月に旁(そ)い、宇宙を挟(さしはさ)み、其の脗合(ふんごう)を為し、其の滑涽(こつこん)を置き、隷(れい)を以て相尊ぶ。衆人は役役たり、聖人は愚芚(ぐとん)たり。万歳に参(まじ)わりて一の成純(せいじゅん)たり。万物は尽く然り。而して是を以て相蘊(つつ)む。予悪くんぞ生を説(よろこ)ぶの惑いに非ざるを知らんや。予悪くんぞ死を悪(にく)むの弱くして喪(うしな)われて帰るを知らざる者に非ざるを知らんや。麗(り)の姫は、艾(がい)の封人(ほうじん)の子なり。晋国の始めて之を得るや、涕泣(ているい)して襟を沾(うるお)す。其の王の所に至り、王と筐床(きょうしょう)を同じくし、芻豢を食らうに及びて、而る後に其の泣きしを悔ゆ。予悪くんぞ夫の死者の其の始めの生を蘄(もと)めしを悔いざるを知らんや。夢に酒を飲む者は、旦(あした)にして哭泣(こっきゅう)す。夢に哭泣する者は、旦にして田猟(でんりょう)す。其の夢みる方(とき)や、其の夢なるを知らざるなり。夢の中に又た其の夢を占う。覚めて而る後に其の夢なるを知る。且つ大覚有りて而る後に此れ其の大夢なるを知る。而るに愚者は自ら以て覚むと為し、竊竊然(せつせつぜん)として之を知る。君か、牧か、固(かたく)なるかな。丘や、女と皆な夢なり。予の女を夢と謂うも、亦た夢なり。是の其の言や、其の名を弔詭(ちょうき)と為す。万世の後にして、一たび大聖の其の解を知る者に遇わば、是れ旦暮に之に遇うなり。既に我と若(なんじ)と辯ぜしむるに、若我に勝ち、我若に勝たずんば、若果たして是にして、我果たして非なるか。我若に勝ち、若我に勝たずんば、我果たして是にして、而(なんじ)果たして非なるか。其れ或いは是にして、其れ或いは非なるか。其れ倶に是にして、其れ倶に非なるか。我と若と相知る能わざれば、則ち人は固より其の黮闇(たんあん)を受く。吾誰をして之を正さしめん。若に同じき者をして之を正さしむれば、既に若と同じ。悪くんぞ能く之を正さんや。我に同じき者をして之を正さしむれば、既に我に同じ。悪くんぞ能く之を正さんや。我と若とに異なる者をして之を正さしむれば、既に我と若とに異なる。悪くんぞ能く之を正さんや。我と若とに同じき者をして之を正さしむれば、既に我と若とに同じ。悪くんぞ能く之を正さんや。然らば則ち我と若と人と倶に相知る能わざるなり。而して彼を待たんや。何をか之を和するに天倪(てんげい)を以てすと謂う。曰く、是も是ならず、然も然らず。是若し果たして是ならば、則ち是の是ならざるに異なるや亦た辯無し。然若し果たして然らば、則ち然の然らざるに異なるや亦た辯無し。化声(かせい)の相待つは、其の相待たざるが若し。之を和するに天倪を以てし、之に因るに曼衍(まんえん)を以てす。年を窮むる所以なり。年を忘れ義を忘れ、無竟(むきょう)に振(あそ)ぶ。故に諸を無竟に寓す」と。
-
荘子・漁父孔子愀然(しゅうぜん)として歎じ、再拝して起ちて曰く、「丘は再び魯に逐われ、跡を衛に削られ、樹を宋に伐られ、陳・蔡に囲まる。丘は失う所を知らず。而して此の四謗に離(かか)るは何ぞや」と。客悽然(せいぜん)として容を変じて曰く、「甚だしいかな子の悟り難きや。人に影を畏れ跡を悪みて之を去りて走る者有り。足を挙ぐること愈(いよい)よ数(しばしば)にして跡愈よ多く、走ること愈よ疾(と)くして影は身を離れず。自ら以為(おも)えらく尚お遅しと。疾く走りて休まず、力を絶して死せり。陰に処りて以て影を休め、静に処りて以て跡を息(や)むるを知らず。愚も亦た甚だし。子は仁義の間を審らかにし、同異の際を察し、動静の変を観、受与の度に適し、好悪の情を理(おさ)め、喜怒の節を和す。而も不免に幾(ちか)し。謹みて而(なんじ)の身を修め、慎みて其の真を守り、還(ま)た物を以て人に与えば、則ち累(わずら)わさるる所無からん。今、之を身に修めずして之を人に求む。亦た外ならずや」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る