荘子 / 寓言
卮言日出,和以天倪,因以曼衍,所以窮年。不言則齊,齊與言不齊,言與齊不齊也,故曰無言。言無言,終身言,未嘗言;終身不言,未嘗不言。有自也而可,有自也而不可;有自也而然,有自也而不然。惡乎然?然於然。惡乎不然?不然於不然。惡乎可?可於可。惡乎不可?不可於不可。物固有所然,物固有所可,無物不然,無物不可。非卮言日出,和以天倪,孰得其久!萬物皆種也,以不同形相禪,始卒若環,莫得其倫,是謂天均。天均者,天倪也。
新字:卮言日出,和以天倪,因以曼衍,所以窮年。不言則斉,斉与言不斉,言与斉不斉也,故曰無言。言無言,終身言,未嘗言;終身不言,未嘗不言。有自也而可,有自也而不可;有自也而然,有自也而不然。悪乎然?然於然。悪乎不然?不然於不然。悪乎可?可於可。悪乎不可?不可於不可。物固有所然,物固有所可,無物不然,無物不可。非卮言日出,和以天倪,孰得其久!万物皆種也,以不同形相禅,始卒若環,莫得其倫,是謂天均。天均者,天倪也。
書き下し
卮言は日に出でて、和するに天倪を以てし、因りて曼衍(まんえん)を以てす。年を窮むる所以なり。言わざれば則ち斉(ひと)し。斉と言とは斉しからず。言と斉とは斉しからず。故に無言と曰う。言うも言う無し。身を終うるまで言うも、未だ嘗て言わず。身を終うるまで言わざるも、未だ嘗て言わずんばあらず。自(よ)る有りて可なり。自る有りて不可なり。自る有りて然り。自る有りて然らず。悪(いず)くにか然る。然るに然り。悪くにか然らざる。然らざるに然らず。悪くにか可なる。可に可なり。悪くにか不可なる。不可に不可なり。物固より然る所有り、物固より可なる所有り。物として然らざる無く、物として可ならざる無し。卮言の日に出でて天倪を以て和するに非ずんば、孰か其の久しきを得んや。万物は皆な種なり。不同の形を以て相禅(あいゆず)る。始卒(しそつ)環(わ)の若く、其の倫を得る莫し。是を天均と謂う。天均なる者は、天倪なり。
現代語訳
卮言は日ごとに湧き出て、天の自然な区切りによって調和し、果てしない変化に従っていく。それが天寿を全うする道である。何も言わなければ、すべては等しい。しかし「等しい」ということと、それを言葉にすることとは、等しくない。言葉と等しさとは、等しくない。だから「無言」と言うのだ。語っていても、語っていない。生涯語り続けても、一度も語ったことがない。生涯語らなくても、語らなかったことがない。拠りどころがあれば、よしとされる。拠りどころがあれば、よくないとされる。拠りどころがあれば、そうだとされる。拠りどころがあれば、そうでないとされる。なぜそうなのか。そうだと認めるから、そうなのだ。なぜそうでないのか。そうでないと認めるから、そうでないのだ。物にはもともとそうである面があり、よしとされる面がある。どんな物にもそうでない面はなく、よしとされない面もない。卮言が日ごとに湧き出て、天の自然な区切りで調和するのでなければ、誰が長く続けられようか。万物はみな種である。異なる形をもって互いに受け渡していく。始まりと終わりは輪のようで、その筋道を掴むことができない。これを『天均』という。天均とは、天倪のことである。
解説
この章句が説くこと
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