荘子 / 外物
靜然可以補病,眥搣可以休老,寧可以止遽。雖然,若是,勞者之務也,非佚者之所未嘗過而問焉。聖人之所以駴天下,神人未嘗過而問焉;賢人所以駴世,聖人未嘗過而問焉;君子所以駴國,賢人未嘗過而問焉;小人所以合時,君子未嘗過而問焉。
新字:静然可以補病,眥搣可以休老,寧可以止遽。雖然,若是,労者之務也,非佚者之所未嘗過而問焉。聖人之所以駴天下,神人未嘗過而問焉;賢人所以駴世,聖人未嘗過而問焉;君子所以駴国,賢人未嘗過而問焉;小人所以合時,君子未嘗過而問焉。
書き下し
静然(せいぜん)は以て病を補うべし。眥搣(しめつ)は以て老を休(や)むべし。寧(やす)んずるは以て遽(あわ)てを止むべし。然りと雖も、是(かく)の若きは、労する者の務めなり。佚(いっ)する者の未だ嘗て過ぎて焉(これ)を問わざる所なり。聖人の天下を駴(おどろ)かす所以は、神人未だ嘗て過ぎて焉を問わず。賢人の世を駴かす所以は、聖人未だ嘗て過ぎて焉を問わず。君子の国を駴かす所以は、賢人未だ嘗て過ぎて焉を問わず。小人の時に合する所以は、君子未だ嘗て過ぎて焉を問わず。
現代語訳
静かにしていれば、病を補うことができる。目のふちを揉めば、老いを休めることができる。心を安らげれば、慌ただしさを止めることができる。とはいえ、こうしたことは、あくせく働いている者の務めであって、ゆったりしている者は、通りかかっても尋ねようとすらしない。聖人が天下を驚かせるようなことを、神人は通りかかっても尋ねない。賢人が世を驚かせるようなことを、聖人は通りかかっても尋ねない。君子が国を驚かせるようなことを、賢人は通りかかっても尋ねない。つまらぬ者が時流に合わせることを、君子は通りかかっても尋ねない。
解説
階層ごとに、下の層の関心事が上の層には無関心である、という構造を示した一段です。聖人が天下を驚かせる大事業も、神人にとってはどうでもいい。賢人の偉業も、聖人には関心がない。それぞれの層で必死になっていることが、一つ上の層からは見向きもされないのです。この構造は残酷ですが、救いでもあります。今あなたが必死になっていることも、別の視点からは大したことではない。そう思えば、少し力が抜けます。
この章句が説くこと
階層ごとの無関心必死さの相対性上から見れば些事力が抜ける
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