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荘子 / 外物

老萊子之弟子出薪,遇仲尼,反以告曰:「有人於彼,修上而趨下,末僂而後耳,視若營四海,不知其誰氏之子。」老萊子曰:「是丘也,召而來!」仲尼至。曰:「丘!去汝躬矜與汝容知,斯為君子矣。」仲尼揖而退,蹙然改容而問曰:「業可得進乎?」老萊子曰:「夫不忍一世之傷,而驁萬世之患,抑固窶邪?亡其略弗及邪?惠以歡為驁,終身之醜,中民之行進焉耳,相引以名,相結以隱。與其譽堯而非桀,不如兩忘而閉其所譽。反無非傷也,動無非邪也。聖人躊躇以興事,以每成功。奈何哉其載焉終矜爾!」

新字:老萊子之弟子出薪,遇仲尼,反以告曰:「有人於彼,修上而趨下,末僂而後耳,視若営四海,不知其誰氏之子。」老萊子曰:「是丘也,召而来!」仲尼至。曰:「丘!去汝躬矜与汝容知,斯為君子矣。」仲尼揖而退,蹙然改容而問曰:「業可得進乎?」老萊子曰:「夫不忍一世之傷,而驁万世之患,抑固窶邪?亡其略弗及邪?恵以歓為驁,終身之醜,中民之行進焉耳,相引以名,相結以隠。与其誉堯而非桀,不如両忘而閉其所誉。反無非傷也,動無非邪也。聖人躊躇以興事,以毎成功。奈何哉其載焉終矜爾!」

書き下し

老萊子(ろうらいし)の弟子薪を出だし、仲尼に遇う。反りて以て告げて曰く、「人有り彼に。上は修(なが)くして下は趨(みじか)く、末は僂(かが)まりて耳は後(うしろ)なり。視ること四海を営(おさ)むるが若し。知らず、其れ誰氏の子ぞ」と。老萊子曰く、「是れ丘なり。召して来たらしめよ」と。仲尼至る。曰く、「丘、汝の躬矜(きゅうきょう)と汝の容知(ようち)とを去らば、斯(すなわ)ち君子と為らん」と。仲尼揖して退き、蹙然(しゅくぜん)として容を改めて問いて曰く、「業は進むを得べきか」と。老萊子曰く、「夫れ一世の傷を忍びずして、万世の患いを驁(あなど)る。抑(そもそ)も固より窶(まず)しきか。亡(そ)れ其の略の及ばざるか。恵むに歓を以て驁と為すは、終身の醜なり。中民の行は焉(ここ)に進むのみ。相引くに名を以てし、相結ぶに隠を以てす。其の堯を誉めて桀を非とせんよりは、両つながら忘れて其の誉むる所を閉ずるに如かず。反すれば傷つかざるは無く、動けば邪ならざるは無し。聖人は躊躇して以て事を興し、以て每(つね)に功を成す。奈何(いかん)せんや、其の載せて終に矜(ほこ)ることを」と。

現代語訳

老萊子の弟子が薪取りに出て、孔子に出会った。帰って報告した。「向こうに人がいました。上半身が長く下半身が短く、背中が丸まって耳が後ろについている。まなざしは、四海を治めようとしているかのようです。誰なのか分かりません」。老萊子は「それは丘だ。呼んで来なさい」と言った。孔子が来た。老萊子は言った。「丘よ、お前の自負と、お前の物知り顔を捨てれば、それで君子になれる」。孔子は会釈して退き、はっとして顔色を改めて尋ねた。「私の学業は、進歩できるでしょうか」。老萊子は言った。「一時代の傷みに耐えられず、万世の患いを軽く見ている。もともと見識が乏しいのか。それとも思慮が及ばないのか。恩恵を与えて喜ばれることを誇りとするのは、生涯の恥だ。凡人の行いは、そこまでで進歩が止まる。互いに名声で引きつけ合い、互いに秘密で結び合う。堯を褒めて桀をけなすくらいなら、両方とも忘れて、褒めることをやめたほうがよい。逆らえば傷つかないことはなく、動けば邪にならないことはない。聖人はためらいながら事を起こし、それでいつも功を成す。それなのにお前は、なぜそれを背負い込んで、最後まで誇ろうとするのか」と。

解説

「恩恵を与えて喜ばれることを誇りとするのは、生涯の恥だ」。この一句が突き刺さる一段です。人を助けて感謝される。それを喜ぶ心が、実は恥ずかしいのだ、と。助けることは良いことです。しかし、感謝を求める気持ちが混じった瞬間、それは取引になります。そして「凡人の行いは、そこまでで進歩が止まる」。感謝を求めている限り、そこから先には行けない。厳しいですが、確かに核心を突いています。

この一句を、あなたの毎日に。

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