荘子 / 則陽
少知問於大公調曰:「何謂丘里之言?」大公調曰:「丘里者,合十姓百名而以為風俗也。合異以為同,散同以為異。今指馬之百體而不得馬,而馬係於前者,立其百體而謂之馬也。是故丘山積卑而為高,江河合水而為大,大人合并而為公。是以自外入者,有主而不執;由中出者,有正而不距。四時殊氣,天不賜,故歲成;五官殊職,君不私,故國治;文武大人不賜,故德備;萬物殊理,道不私,故無名。無名故無為,無為而無不為。時有終始,世有變化,禍福淳淳,至有所拂者而有所宜;自殉殊面,有所正者有所差。比於大澤,百材皆度;觀於大山,木石同壇。此之謂丘里之言。」
新字:少知問於大公調曰:「何謂丘里之言?」大公調曰:「丘里者,合十姓百名而以為風俗也。合異以為同,散同以為異。今指馬之百体而不得馬,而馬係於前者,立其百体而謂之馬也。是故丘山積卑而為高,江河合水而為大,大人合并而為公。是以自外入者,有主而不執;由中出者,有正而不距。四時殊気,天不賜,故歲成;五官殊職,君不私,故国治;文武大人不賜,故徳備;万物殊理,道不私,故無名。無名故無為,無為而無不為。時有終始,世有変化,禍福淳淳,至有所払者而有所宜;自殉殊面,有所正者有所差。比於大沢,百材皆度;観於大山,木石同壇。此之謂丘里之言。」
書き下し
少知(しょうち)大公調(たいこうちょう)に問いて曰く、「何をか丘里(きゅうり)の言と謂う」と。大公調曰く、「丘里なる者は、十姓百名を合して以て風俗と為すなり。異を合して以て同と為し、同を散じて以て異と為す。今、馬の百体を指して馬を得ず。而も馬の前に係(つな)がるる者は、其の百体を立てて之を馬と謂うなり。是の故に丘山は卑(ひく)きを積みて高しと為し、江河は水を合して大と為し、大人は并(あわ)せ合して公と為す。是を以て外より入る者は、主有りて執らず。中より出づる者は、正有りて距(こば)まず。四時は気を殊(こと)にするも、天は賜わず。故に歳成る。五官は職を殊にするも、君は私せず。故に国治まる。文武は大人賜わず。故に徳備わる。万物は理を殊にするも、道は私せず。故に名無し。名無きが故に無為。無為にして為さざる無し。時に終始有り、世に変化有り。禍福は淳淳(じゅんじゅん)として、至りて拂(もと)る所有りて宜(よろ)しき所有り。自ら殉じて面を殊にし、正しき所有りて差(たが)う所有り。大沢に比すれば、百材皆な度(はか)らる。大山に観れば、木石壇を同じくす。此を之れ丘里の言と謂う」と。
現代語訳
少知が大公調に尋ねた。「『丘里の言』とは何ですか」。大公調は言った。「丘里とは、十の姓、百の名を合わせて、一つの風習としたものです。異なるものを合わせて同じとし、同じものを散らして異なるものとする。今、馬の百の部位を一つひとつ指さしても、馬は得られません。しかし目の前に繋がれている馬は、その百の部位が組み合わさって『馬』と呼ばれているのです。だから丘や山は低いものが積み重なって高くなり、大河は水が合わさって大きくなり、大いなる人は多くを合わせて公となる。だから外から入ってくるものは、主体を持ちながら固執しない。内から出てくるものは、正しさを持ちながら拒まない。四季は気を異にするが、天はどれかをひいきしない。だから一年が成り立つ。五つの官職は職務を異にするが、君主はひいきしない。だから国が治まる。文と武に、大いなる人はひいきをしない。だから徳が備わる。万物は理を異にするが、道はひいきしない。だから名がない。名がないから無為であり、無為でありながら、なされないことは何もない。時には終わりと始まりがあり、世には変化がある。禍福は流れるように移り変わり、行き着いて背くこともあれば、うまく合うこともある。それぞれが自分に従って別の方角を向き、正しいところもあれば食い違うところもある。大きな沼沢に比べれば、あらゆる材木がそこから測られる。大きな山から見れば、木も石も同じ土壇の上にある。これを『丘里の言』というのです」と。