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荘子 / 則陽

蘧伯玉行年六十而六十化,未嘗不始於是之而卒詘之以非也,未知今之所謂是之非五十九年非也。萬物有乎生而莫見其根,有乎出而莫見其門。人皆尊其知之所知,而莫知恃其知之所不知而後知,可不謂大疑乎!已乎已乎!且無所逃。此所謂然與,然乎?

新字:蘧伯玉行年六十而六十化,未嘗不始於是之而卒詘之以非也,未知今之所謂是之非五十九年非也。万物有乎生而莫見其根,有乎出而莫見其門。人皆尊其知之所知,而莫知恃其知之所不知而後知,可不謂大疑乎!已乎已乎!且無所逃。此所謂然与,然乎?

書き下し

蘧伯玉(きょはくぎょく)行年六十にして六十化す。未だ嘗て始めに之を是として卒(つい)に之を詘(しりぞ)くるに非を以てせずんばあらず。未だ知らず、今の所謂是は、之れ五十九年の非に非ざるかを。万物は生ずる有りて其の根を見る莫く、出づる有りて其の門を見る莫し。人は皆な其の知の知る所を尊びて、其の知の知らざる所を恃(たの)みて而る後に知るを知る莫し。大疑と謂わざるべけんや。已(や)まんかな已まんかな。且つ逃るる所無し。此れ所謂然りか、然るか。

現代語訳

蘧伯玉は六十歳になるまでに、六十回考えを変えた。最初に正しいと思ったことを、最後には間違いだとして退けなかったことがない。今、自分が正しいと思っていることが、五十九年間の間違いと同じではないと、どうして言えようか。万物は生まれてくるが、その根は見えない。出てくるが、その門は見えない。人はみな、自分の知が知っていることを尊ぶが、自分の知が知らないことに依って初めて知ることができる、ということを知らない。これを大いなる惑いと言わずにいられようか。やめよう、やめよう。それでも逃げ場はない。これが、いわゆる『そうだ』ということなのか。本当にそうなのか。

解説

六十歳までに六十回考えを変えた男の話です。毎年、去年の自分を否定してきた。そして「今、正しいと思っていることも、来年には間違いだと分かるのではないか」と自問します。この誠実さが凄い。多くの人は、変わることを一貫性のなさと恥じます。しかし蘧伯玉は、変わり続けることを恥じていません。むしろ、変わらないことのほうが危ういのです。今の自分の正しさを、疑い続ける。それが、六十回変われた理由です。

この一句を、あなたの毎日に。

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