荘子 / 則陽
華子聞而醜之,曰:「善言伐齊者,亂人也;善言勿伐者,亦亂人也;謂伐之與不伐亂人也者,又亂人也。」王曰:「然則若何?」曰:「君求其道而已矣。」
新字:華子聞而醜之,曰:「善言伐斉者,乱人也;善言勿伐者,亦乱人也;謂伐之与不伐乱人也者,又乱人也。」王曰:「然則若何?」曰:「君求其道而已矣。」
書き下し
華子聞きて之を醜(にく)みて曰く、「善く斉を伐つを言う者は、乱人なり。善く伐つ勿(なか)れと言う者も、亦た乱人なり。伐つと伐たざるとを乱人なりと謂う者も、又た乱人なり」と。王曰く、「然らば則ち若何」と。曰く、「君は其の道を求むるのみ」と。
現代語訳
華子がこれを聞いて嫌悪して言った。「斉を攻めよと巧みに説く者は、世を乱す人です。攻めるなと巧みに説く者もまた、世を乱す人です。そして『攻めよと言う者も攻めるなと言う者も、どちらも乱す人だ』と言う者も、また世を乱す人です」。王は「では、どうすればよいのか」と尋ねた。華子は言った。「あなたはただ、道を求めればよいのです」。
解説
自分の発言まで「乱人だ」と認めてしまう、恐るべき一段です。攻めよと言う者も、攻めるなと言う者も、そして両者を批判する自分も、みな乱す人だ、と。この徹底した自己言及が、議論の枠そのものを崩壊させます。そして残る答えはただ一つ、「道を求めよ」。何をすべきかの議論から、どうあるべきかへの転換です。何をするかを議論している限り、答えは出ません。
この章句が説くこと
華子の徹底自己言及議論の枠の崩壊君求其道而已矣無為道
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