荘子 / 則陽
舊國舊都,望之暢然;雖使丘陵草木之緡,入之者十九,猶之暢然。況見見聞聞者也?以十仞之臺縣眾閒者也!
新字:旧国旧都,望之暢然;雖使丘陵草木之緡,入之者十九,猶之暢然。況見見聞聞者也?以十仞之台県衆閒者也!
書き下し
旧国旧都は、之を望めば暢然(ちょうぜん)たり。丘陵草木の緡(みだ)れ、之に入る者十に九なりと雖も、猶お之れ暢然たり。況んや見を見、聞を聞く者をや。十仞の台を以て衆間に県(か)くる者をや。
現代語訳
故郷の国、故郷の都は、遠くから眺めるだけで、心がのびやかになる。丘や陵が草木に埋もれ、その十のうち九までが草に覆われていても、それでもなお、のびやかになる。まして、かつて見たものを実際に見、かつて聞いたものを実際に聞くのなら、なおさらだ。十仞の高台を、人々の間に高く掲げるようなものだ。
解説
故郷を遠くから眺めるだけで、心がほどける。荒れ果てて草に覆われていても、それでもほどける。この描写が優しい一段です。理屈ではありません。ただ、そういうものなのです。私たちにも、そういう場所や人があるはずです。そこにいるだけで、何もしなくても、力が抜ける。荒れていようが、変わり果てていようが、関係ない。効率や合理では説明できないものが、人を支えています。
この章句が説くこと
旧国旧都望之暢然故郷理屈でない支え力が抜ける場所
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