荘子 / 則陽
生而美者,人與之鑑,不告則不知其美於人也。若知之,若不知之,若聞之,若不聞之,其可喜也終無已,人之好之亦無已,性也。聖人之愛人也,人與之名,不告則不知其愛人也。若知之,若不知之,若聞之,若不聞之,其愛人也終無已,人之安之亦無已,性也。
新字:生而美者,人与之鑑,不告則不知其美於人也。若知之,若不知之,若聞之,若不聞之,其可喜也終無已,人之好之亦無已,性也。聖人之愛人也,人与之名,不告則不知其愛人也。若知之,若不知之,若聞之,若不聞之,其愛人也終無已,人之安之亦無已,性也。
書き下し
生まれながらにして美なる者は、人之に鑑を与う。告げざれば則ち其の人より美なるを知らざるなり。之を知るが若く、之を知らざるが若く、之を聞くが若く、之を聞かざるが若し。其の喜ぶべきや終に已(や)む無く、人の之を好むも亦た已む無し。性なり。聖人の人を愛するや、人之に名を与う。告げざれば則ち其の人を愛するを知らざるなり。之を知るが若く、之を知らざるが若く、之を聞くが若く、之を聞かざるが若し。其の人を愛するや終に已む無く、人の之に安んずるも亦た已む無し。性なり。
現代語訳
生まれつき美しい者は、人が鏡を差し出して初めて、自分の美しさを知る。誰も教えなければ、自分が人より美しいことを知らない。知っているようでもあり、知らないようでもあり、聞いたようでもあり、聞かないようでもある。その人の喜ばしさは尽きることがなく、人がその人を好むこともまた尽きることがない。それが本性というものだ。聖人が人を愛するのも同じで、人が名前をつけて初めて、それが愛だと分かる。誰も教えなければ、自分が人を愛していることを知らない。知っているようでもあり、知らないようでもある。その人が人を愛することは尽きることがなく、人がその人に安らぐこともまた尽きることがない。それが本性というものだ。
解説
この章句が説くこと
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文子・精誠老子曰く、夫れ道と徳とは、囲と革の若し。之を遠ざくれば即ち近く、之に近づけば即ち遠し。之を稽うれども得ず、之を察すれども虚しからず。是の故に聖人は鏡の若く、将らず迎えず、応じて蔵せず、万物にして傷わず。其の之を得るや、乃ち之を失うなり。其の之を失うや、乃ち之を得るなり。故に大和に通ずる者は、闇として醇酔の若く、甘臥して以て其の中に游び、未だ始めより其の宗を出でざるが若し。是を大通と謂う。此れ不用に仮りて能く其の用を成す。
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