荘子 / 則陽
聖人達綢繆,周盡一體矣,而不知其然,性也。復命搖作而以天為師,人則從而命之也。憂乎知而所行恆無幾時,其有止也若之何?
新字:聖人達綢繆,周尽一体矣,而不知其然,性也。復命揺作而以天為師,人則従而命之也。憂乎知而所行恒無幾時,其有止也若之何?
書き下し
聖人は綢繆(ちゅうびゅう)に達し、周(あまね)く一体を尽くす。而も其の然るを知らず。性なり。命に復(かえ)りて揺作(ようさく)し、而して天を以て師と為す。人は則ち従いて之に命(な)づくるなり。知を憂えて行う所は恒に幾時(きじ)も無し。其の止まる有るや之を若何(いかん)せん。
現代語訳
聖人は、絡み合ったもつれに通じ、あまねく一体であることを尽くしている。それでいて、なぜそうなのかを知らない。それが本性というものだ。天命に立ち返って動き出し、天を師とする。人はそれに従って、それに名前をつける。知恵に憂えて行うことは、いつまでも続いた試しがない。それが止まってしまう時、どうすればよいのか。
解説
「それでいて、なぜそうなのかを知らない」。この一句が繰り返し出てくる、荘子の核心です。できているのに、理由が説明できない。それが本性だと言います。そして後半が鋭い。「知恵に憂えて行うことは、いつまでも続いた試しがない」。頭で考えて、心配して、それで始めたことは、長続きしません。無理があるからです。本性から出てきたものだけが、続きます。長続きしないなら、それは頭から出たものかもしれません。