荘子 / 徐無鬼
盡有天,循有照,冥有樞,始有彼。則其解之也似不解之者,其知之也似不知之也,不知而後知之。其問之也,不可以有崖,而不可以無崖。頡滑有實,古今不代,而不可以虧,則可不謂有大揚搉乎!闔不亦問是已,奚惑然為!以不惑解惑,復於不惑,是尚大不惑。
新字:尽有天,循有照,冥有枢,始有彼。則其解之也似不解之者,其知之也似不知之也,不知而後知之。其問之也,不可以有崖,而不可以無崖。頡滑有実,古今不代,而不可以虧,則可不謂有大揚搉乎!闔不亦問是已,奚惑然為!以不惑解惑,復於不惑,是尚大不惑。
書き下し
尽(ことごと)く天有り。循(したが)いて照有り。冥に枢(すう)有り。始めに彼有り。則ち其の之を解するや解せざる者に似たり。其の之を知るや知らざるに似たるなり。知らずして而る後に之を知る。其の之を問うや、崖(かぎり)有るべからず、而も崖無かるべからず。頡滑(けつかつ)に実有り。古今代(かわ)らずして、虧(か)くべからず。則ち大揚搉(だいようかく)有りと謂わざるべけんや。闔(なん)ぞ亦た是を問わざる。奚(なん)ぞ惑然として為さんや。不惑を以て惑を解き、不惑に復(かえ)る。是れ尚(な)お大不惑なり。
現代語訳
すべてに天がある。従っていけば、そこに光がある。暗いところにも、要となるものがある。始まりには、その向こう側がある。だから、それを理解する時は、理解していないかのようであり、それを知る時は、知らないかのようである。知らないでいて、その後に知るのだ。それを問う時は、限りがあってはならないが、限りがなくてもいけない。乱れたものの中にも実体がある。昔も今も代わることなく、欠けることもない。それを『大いなる要点』と言わずにいられようか。どうしてこれを問わないのか。なぜ迷ったままでいるのか。迷わないことによって迷いを解き、迷わないところに立ち返る。これこそが、大いなる不惑である。
解説
徐無鬼篇を締めくくる一段です。「知らないでいて、その後に知る」。理解した時、実は理解していないかのようである。この逆説が繰り返されます。そして「問う時は、限りがあってはならないが、限りがなくてもいけない」。際限なく問い続けても、まったく問わなくても、どちらもだめだ、と。この微妙な塩梅が、実践の難しさです。最後は「迷わないことによって迷いを解き、迷わないところに立ち返る」。迷いを迷いで解こうとするから、深まるのです。