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荘子 / 徐無鬼

故目之於明也殆,耳之於聰也殆,心之於殉也殆。凡能其於府也殆,殆之成也不給改。禍之長也茲萃,其反也緣功,其果也待久。而人以為己寶,不亦悲乎!故有亡國戮民無已,不知問是也。

新字:故目之於明也殆,耳之於聰也殆,心之於殉也殆。凡能其於府也殆,殆之成也不給改。禍之長也茲萃,其反也縁功,其果也待久。而人以為己宝,不亦悲乎!故有亡国戮民無已,不知問是也。

書き下し

故に目の明に於けるや殆(あや)うし。耳の聡に於けるや殆うし。心の殉(したが)うに於けるや殆うし。凡そ能の其の府に於けるや殆うし。殆うきの成るや、改むるに給せず。禍の長ずるや茲(ますま)す萃(あつ)まる。其の反るや功に縁る。其の果たすや久しきを待つ。而るに人は以て己の宝と為す。亦た悲しからずや。故に亡国戮民(ぼうこくりくみん)の已(や)む無き有るは、是を問うを知らざればなり。

現代語訳

だから、目が明るすぎることは危うい。耳が聡すぎることは危うい。心が何かに従いすぎることは危うい。およそ能力が蓄えられていること自体が危うい。危うさが出来上がってしまえば、改めるのは間に合わない。災いが育てば、ますます集まってくる。それを引き戻すには、功を積むしかない。その成果が出るには、長い時間がかかる。それなのに人は、この危ういものを自分の宝だと思っている。なんと悲しいことか。だから、国が滅び民が殺される事態が絶えないのは、このことを問おうとしないからだ。

解説

「能力が蓄えられていること自体が危うい」。この指摘が根源的な一段です。目がよく見えること、耳がよく聞こえること、能力が高いこと。すべて危ういと言う。なぜなら、それらは使いたくなるからです。よく見える人は見すぎ、よく聞こえる人は聞きすぎ、能力の高い人は動きすぎる。そして「人は、この危ういものを自分の宝だと思っている」。私たちが誇りにしているものが、実は最大の危険なのかもしれません。

この一句を、あなたの毎日に。

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