荘子 / 徐無鬼
是以神人惡眾至,眾至則不比,不比則不利也。故無所甚親,無所甚疏,抱德煬和,以順天下,此謂真人。於蟻棄知,於魚得計,於羊棄意。以目視目,以耳聽耳,以心復心,若然者,其平也繩,其變也循。古之真人,以天待之,不以人入天。
新字:是以神人悪衆至,衆至則不比,不比則不利也。故無所甚親,無所甚疏,抱徳煬和,以順天下,此謂真人。於蟻棄知,於魚得計,於羊棄意。以目視目,以耳聴耳,以心復心,若然者,其平也縄,其変也循。古之真人,以天待之,不以人入天。
書き下し
是を以て神人は衆の至るを悪(にく)む。衆至れば則ち比(したし)まず。比まざれば則ち利ならざるなり。故に甚だ親しむ所無く、甚だ疏(うと)んずる所無し。徳を抱き和を煬(やしな)い、以て天下に順う。此を真人と謂う。蟻に於いて知を棄て、魚に於いて計を得、羊に於いて意を棄つ。目を以て目を視、耳を以て耳を聴き、心を以て心に復(かえ)る。是の若き者は、其の平らかなるや縄のごとく、其の変ずるや循(したが)う。古の真人は、天を以て之を待ち、人を以て天に入らず。
現代語訳
だから神人は、大勢が集まってくることを嫌う。大勢が集まれば、親しみが薄れる。親しみが薄れれば、うまくいかない。だから、特別に親しむ相手も持たず、特別に疎んじる相手も持たない。徳を抱き、調和を養い、天下に従っていく。これを真人という。蟻に対しては小賢しい知恵を捨て、魚に対しては算段を得て、羊に対しては思惑を捨てる。目は目のままに見、耳は耳のままに聴き、心は心に立ち返る。そういう者は、平らかであることは墨縄のようであり、変化する時は自然に従う。昔の真人は、天のあり方でそれを迎え、人為で天に入り込むことはなかった。
解説
「大勢が集まれば、親しみが薄れる」。この一句が、前の三つの型を受けた結論です。人が集まりすぎると、一人ひとりとの関係は薄くなる。だから神人は、群れが集まることを嫌います。そして「特別に親しむ相手も、特別に疎んじる相手も持たない」。えこひいきをしない。これは冷たいのではなく、全員と等しく向き合うということです。人脈を広げることが良いこととされますが、広げるほど、一人ひとりとの関係は薄まります。
この章句が説くこと
神人悪衆至集まれば親しみが薄れる無所甚親無所甚疏等しく向き合う
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