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荘子 / 徐無鬼

所謂暖姝者,學一先生之言,則暖暖姝姝而私自說也,自以為足矣,而未知未始有物也,是以謂暖姝者也。

新字:所謂暖姝者,學一先生之言,則暖暖姝姝而私自説也,自以為足矣,而未知未始有物也,是以謂暖姝者也。

書き下し

所謂暖姝なる者は、一先生の言を学べば、則ち暖暖姝姝(だんだんしゅしゅ)として私(ひそ)かに自ら説(よろこ)び、自ら以て足れりと為す。而も未だ始めより物有らざるを知らざるなり。是を以て暖姝なる者と謂うなり。

現代語訳

いわゆる『暖姝』とは、一人の先生の言葉を学ぶと、ぬくぬくと、うっとりと、ひそかに自分で悦に入り、自分ではもう十分だと思い込む者のことだ。そして、そもそも物など初めからなかったということを知らない。だから『暖姝』と呼ぶのだ。

解説

一人の先生の教えを学んで、それで満足してしまう人。この型を「暖姝」と呼ぶ一段です。「ぬくぬくと、うっとりと、ひそかに自分で悦に入る」。この描写が容赦ありません。一つの体系を学ぶと、世界が説明できるように感じます。そこで止まってしまう。学ぶことが、かえって視野を閉じるのです。一つの流派、一つの理論、一つの方法。それに出会えた喜びは本物です。しかし、そこで満ち足りてしまえば、それ以上には進めません。

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

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